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日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。

ムーニーのCMについて、感想。

オムツのブランドムーニーのCMが話題になっているようだ。

 

www.youtube.com

 

賛否両論あるようだが、私は特別違和感なく見ることができた。

私の下の娘はまだ1歳になっていない。新生児ではないが、まだまだ手のかかる月齢だ。夜の授乳もあるし、寝愚図りでどうしようもないときもある。のんびり自分のご飯は食べられないし、お風呂も湯船につかってゆっくりはなかなかできない。

けれども、幸いにも今の私は恵まれた環境にある。自分の両親とは別居ではあるが近距離に住んでいる。夫の帰宅も遅くても10時を回ることはない。いわゆるワンオペ育児をせざるを得ない状況にはもちろんあるものの、いざとなったらいつでも誰かしら(基本的には自分の両親だけれども)に助けを求められる環境にいるせいか、このCMを見て「生傷をえぐられるような不快感」や「トラウマ」なるものは、私は感じなかった。

 

このCMは確かにリアルだ。だからこそ、私は意味のあるものだと感じている。

ワンオペ育児を称賛している、とも私は思えなかった。それは、登場するママの大変さが十分に伝わってきたからだ。もし私がワンオペ育児を称賛する動画を制作するのであれば、その背景にあるしんどさはあえて無視して、「楽しい育児」のみを前面に押し出したものを制作するだろう。

この動画を見た、世の父親が反面教師として「ワンオベ育児のしんどさ」に気づき、我が身を振り返るきっかけになるのであれば、それはとても有意義なことである、と私は思った。

 

もしかしたら、このCMを見て世の男性陣が「あぁ、育児って素晴らしいなぁ(単純に)」「俺って育児手伝いすぎ??もうちょっと手を抜いてもいいのかな??」などと思ってしまったら、それは大問題だろう。
けれども、このCMの感想が「ワンオペ育児の素晴らしさ」に繋がってしまうのであれば、どんな「イクメン推奨」のCMを作ったとしても、CMに感化されてイクメンになることはないのではないか、とも思う。

 

「その時間が、いつか宝物になる」の、意味

このキャッチフレーズも、私はとても意味のあるものだと思っている。

頑張っている母親へ送るエールだと私は受け取ったのだけれど、どうやら少数派のようだ。

私自身がそういう思考に陥りがちなのだけれど、世の中にはしんどい思いをしているときは特に、頑張れば頑張るほどその先に大きな幸せが待っているはずだ、と思い込むことで、自分を鼓舞させる、という考え方をする人が一定数いる。

そういうタイプの人間に対する、応援メッセージであると私は受け取った。

と同時に、「(その頑張りは間違っているよ。)落ち着いて、周りを見渡してごらん。誰かがあなたに手を差し伸べているよ」や「パパはもっとママを助けてあげましょう!!(でも、魔法の言葉はないから、ママが頑張ってパパが手を出しやすいように働きかけてね)」というメッセージでは、遠回しに今の頑張りを否定してしまうことになりかねないのではないか、とも思ってしまった。

 

今頑張っているママに対して、その頑張りを認めてあげるメッセージが「そのがんばりが、いつか宝物になる。」という表現なのではないだろうか??

家事を(一人で集中して)させてもらっている、という感覚

私は専業主婦だ。そうして、私の仕事は家事と育児だ。だから、夫がする家事と育児は、あくまで「してもらっている」と思っている。いや、そう思いたいと思っている。

けれども、現実は心のどこかで「して当たり前」と思っている。

 

昨今のイクメンブームもある。

下の娘がまだまだ手がかかるという現実もある。

核家族であるという言い訳もある。

自分が忙しなく立ち働いている目の前で、くつろぐ夫に対しての不公平感やイライラもそう思わせる原因なのだと思う。

 

日々、「してもらってありがたい」という思いと「して当たり前。もっとしてほしい」という思いの間で、揺れ動いている自分がいる。

 

 

GW中、帰省した友人と久しぶりに長話をした。

友人は1歳の娘を都会で育てている。友人知人は身近にいても、自分の両親は新幹線の距離、夫の両親は飛行機の距離に住んでいるので、気軽には頼れない。それゆえ、彼女自身育児に行き詰まっている様子だった。

 

当日は、夫の趣味の外出中に友人を我が家に招き、友人の娘と私の娘二人を交えながら、のんびりと過ごした。

 

その際、友人がこんな話しをしてくれた。

「家にいる旦那を見てるとさ、育児してあげてる、家事してあげてる。ってオーラをすごい出してるんだよね。でね、それが育児に集中させてあげてる。家事に集中させてあげてる、って恩着せがましく受け取れちゃって、何か嫌なんだよね。旦那はさ、”仕事に集中させてくれてありがとう”とは言わないわけだからさ」

この感覚、私はすごく共感できてしまったのだが、賛否が分かれる意見でもあるのだろうな、とも思ってしまった。

 

 

夫が家にいる時、自然家事と育児は夫と私どちらかで分担する形になる。たいていは、夫が育児、私が家事(時折、上の娘に呼ばれたり、下の娘の愚図りがひどいときはおんぶをしながら)と言う役割分担に落ち着く。

 

普段、家事をしながらの娘たちのお世話のため、余裕を持って娘たちに接してあげられない時間帯が生まれてしまうことは、私のストレスの一つだ。

(自分の休憩時間と育児が切り離されないことも、私が不満をため込んでしまう理由の一つでもあるのだけれども。)

私自身のキャパシティーの狭さと、能力の問題だろう。できるだけ、家事と育児が切り離された状態にあることが、私にとっては好ましいシチュエーションである。そのため、夫が家にいてくれることは、私の心持を大きく左右させる。

それゆえ、「家事に集中させてくれて、ありがたい」と言う気持ちが、夫が家にいる間には、常にあるように思う。具体的に娘たちのお世話をしてくれていなくても、大人の目が一人分増えるだけでも、心理的な余裕が生まれてくるから不思議だ。

けれども、一方で欲も出てしまう。夫が家にいるうちにできるだけ家事を済ませてしまいたい、というわがまま、こだわりがうまれてしまい、夫に対し「もっと、もっと」と要求が上がってしまうのだ。育児中の家事に効率を求めること自体がナンセンスなのだろうけれど、無意識に求めてしまっているのだ。

悪い癖だと自覚はしているが、なかなか改善できない。

だからこそ、家事を(一人で集中して)させてもらっているという、夫への感謝の気持ちがありながら、同時にもやもやとした気持ちも抱いてしまうのかもしれない。

 

 

家事を手伝う、という表現

夫の家事を見ていると、時折「手伝っている」感が漂っているなぁ、と思うことがある。

おそらく、家事をえり好みしているからこその、感想なのかもしれない。家事だけでなく、育児でも同じことが言える。

 

先日も、下の娘がなかなか寝なかったため、私はおんぶ紐でおんぶをしつつ、皿洗いをしていた。すると、ちょうど手が空いていた夫は、ここぞとばかり「ちょっと出かけてくる」と家を出て行ってしまった。

もちろん、その前に「出かけてもいい??」と声をかけはしたのだけれど。その言葉の裏側に「もちろん、行ってもいいよね!!」という本音を垣間見てしまった自分がいた。

そこに、自分が洗い物をする、もしくは下の娘を抱っこしてあやす、寝かしつけるという選択肢はないようだった。(夜だったこともあり、生活リズム的には寝かしつけるが正解だと思われる。ただし、夫は下の娘を寝かしつけることが大の苦手でもある)

 

かつて流行った、「家事ハラスメント」という言葉

 「家事ハラスメント」という言葉が、一時期話題になったことがある。妻からの、夫の家事に対する心ない一言が、ハラスメントに値する、というのだ。

そんな家事ハラスメントを訴える夫に対し、「手伝う」という言葉とその姿勢に過剰に反応する妻たちの声が大きくクローズアップされていたことが、とても印象的だったことを思い出した。

 

なぜ家事ハラスメントが起こってしまうのだろうか??

なぜ多くの夫は、家事を「手伝う」のだろうか??

 

  1. 物理的に、家事をする時間が取れない。(長時間労働ゆえ、そもそも家にいる時間が短い)
  2. 体力的に、家事をする気になれない。
  3. そもそも役割分担として、家事は妻の役目である。
  4. 家事に対する優先順位、完成度に対する意識の差。
  5. 能力的に家事ができない、もしくは向いていない。(と思い込んでいる)
  6. 家事の必要性を感じていない。 
 

 おそらく夫自身にはもっと多くの言い分があるのだろうけれど。自分が忙しなくしているさなか、夫がくつろいでいる(ように見える。事実は異なるのかもしれないが)というシチュエーションに、言いようのない不快感やモヤモヤ、イライラを、私は感じてしまう。

 

できる、できないなのか。やる、やらないなのか。

家事や育児をしていて思うのは、目の前に娘たちがいて自分と娘たちの生活を滞りなく成立させるためには、家事や育児を「できる、できない」という次元ではなく「やる、やらない」という次元でしか語りようがないのでは??という疑問だ。

けれども、夫にとっては「ワンオペ育児」を経験していないせいか「やりたい、やりたくない」という判断基準で家事や育児に取り組んでいるのでは??と思う時が多々ある。

 

だからこそ、「手伝う」と言ってのけてしまうのだろうか・・・・・・

家事と育児の両立

仕事と育児、仕事と家事の両立と言う表現は存在していても、「家事と育児」と言う表現は存在しない。いや存在しないわけではないのかもしなれないが、頻繁に目にする表現では決してないように思う。

 

主婦の仕事は家事である。ゆえに、子育て中の主婦の負担を軽減するためには、家事ではなく育児を負担すべきだ。

時折男性側の意見として、上記の様な主張をする人がいる。男性だけではない、女性の中にもこのように思っている人間は多いのではないだろうか??

けれども、家事時と育児をすっぱり切り離すことは、非常に難しいのではないか、とも私は思う。

 

家事は育児であり、育児は家事である。と私は思う。

片働き家庭の夫側の言い分に「働いてお金を稼ぐことも、間接的に育児に貢献しているといえるのでは??妻に育児を丸投げしていたとしても、妻と子供を養うことで結果的には育児をしたことになっているのでは??」と言うものがある。

けれどもそれを言ってしまえば、家事をすることで、妻本人や夫、そうして子供の心身の健康を保つことも、巡りに巡って育児をしているといっていいのでは??とも、私は思ってしまう。

 

  • 料理⇒母親の母乳の素、離乳食、子供の食事も含まれる
  • 洗濯⇒子供の洋服の洗濯も含まれる
  • 掃除・片付け⇒子供の健康維持(喘息やウィルス対策)、赤ちゃんの誤飲防止も含まれる
  • その他細かな家事のこだわり⇒結果、節約につながるのであれば、教育費等の増加することで育児とに含まれる
もっと言えば、母親の適度なひとり時間(自由時間)も、母親の心身の健康を促すために必要な要素であり、イライラせず子供ににこやかに接するためには必要な条件だとも思ってしまうのだけれども、これも拡大解釈のしすぎなのだろうか??

夫の休日

 夫が休みの日は、少し疲れる。

なぜだろうか??

おそらく、家事に育児にと夫に過剰な期待をしてしまっているからなのだろう。けれども、それらの期待は様々な形で結果裏切られてしまうことがままある。だから、疲れを感じてしまうのだ。

 

 

夫は基本平日休みだ。

上の娘は8時に幼稚園に登園していく。上の娘が帰宅するまでの時間(正確には、昼食に間に合うようにと午後1時ごろが目安らしいが)、夫は自分の自由時間だと思っているらしい。

らしいというのは、形式上夫はいつも外出の際私にお伺いを立てるからだ。

また、下の娘はまだ授乳があるため、下の娘の面倒を責任を持って自分だけで見る、という選択肢がそもそもまったくない。そのため、自分は家にいる必要がない(家にいなくても問題ない)と考えているようなのだ。

 

夫にとっての一人時間

 

夫にとっての一人の時間は、与えられた当然の権利であるらしい。

一方で、私にとっての一人の時間は、基本もろもろの条件(娘たちを預ける人間の都合はもちろんのこと、娘たちのどちらかが寝ていること、もしくはお腹等が満たされていて機嫌が良いことなど)が揃っているという大前提の下、頭を下げて、相手の都合を優先して、ようやく得られるものだ。

 

夫が休日の日に外出する際(夫は一人の時間をあまり家ではすごさない)、一応許可をとるような声の掛け方をする。

「今から〇〇へ行っていい??」「〇月〇日、△△へ行ってきたいんだけど・・・・・・」と。

この問いに、私は「嫌だ、行かないで欲しい」とは言いづらい。なぜなら、具体的に私が困ってしまうという論理的な理由がないからだ。あるのは「自分ばっかりずるい!!」「私も一人で外出したい!!」と言う感情論だけだ。

夫が仕事の日は、夫なしでも日中の日常生活を成立させている。(多少の不都合やしんどさは当然伴うが)だからこそ、「嫌だ、行かないで欲しい」と言う返答をすることに、多少のためらいが私にはある。普段できていることを、夫が休日だからと言って「できない」と助けを求めるのは、違うのではないか。自分が楽になるために、夫を束縛するのは、私のわがままではなか、と思ってしまうからだ。

 

もっとも、毎度毎度快く「いっておいで」と答えられているわけではない。むしろ逆で、言葉を濁すような、はっきりしない態度をとってしまうことのほうが多い。けれども、夫は私の鈍い反応にも目もくれず、そのまま出かけて行ってしまう。

 

もしかしたら、夫自身も多少の罪悪感や後ろめたさがあるのかもしれない。とはいえ、私には夫がそのような感情を抱きつつひとり時間を楽しんでいるようには、どうしても思えない。

 

 

「育児に疲れたママに、一人の時間を作ってあげましょう」という、甘い誘惑

 

子育てコラムや相談サイト等で、時折見かけるアドバイスの一つに、「育児に疲れたママに、一人の時間を作ってあげましょう」という、お決まりのフレーズがある。

ネットにどっぷりつかってしまっている私は、無意識のうちに夫に過度の期待してしまっているらしい。だからこそ、その期待が裏切られたことに、ひどく落胆してしまうのだ。

 

娘たちに懐かれているし、育児も家事も積極的なはずの夫だ。「たまには、一人で出かけておいで」と時が来れば言ってくれるに違いない、と・・・・・・

 

けれども、当の夫にとっては、相当ハードルの高い期待なのだろう。日ごろの仕事の疲れもある。気晴らしもしたい。おまけに下の娘は完全母乳だ。自分の手におえずお手上げ状態の夫の姿も幾度となく見ている。夫にしてみれば、ひどく難しい相談なのかもしれない。

 

おそらく、夫としては「言わない」のではなく「言えない」のだろう。

私には「言えない」のではなく「言わない」と感じてしまうのだけれど。