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日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。

家事と育児の両立

仕事と育児、仕事と家事の両立と言う表現は存在していても、「家事と育児」と言う表現は存在しない。いや存在しないわけではないのかもしなれないが、頻繁に目にする表現では決してないように思う。

 

主婦の仕事は家事である。ゆえに、子育て中の主婦の負担を軽減するためには、家事ではなく育児を負担すべきだ。

時折男性側の意見として、上記の様な主張をする人がいる。男性だけではない、女性の中にもこのように思っている人間は多いのではないだろうか??

けれども、家事時と育児をすっぱり切り離すことは、非常に難しいのではないか、とも私は思う。

 

家事は育児であり、育児は家事である。と私は思う。

片働き家庭の夫側の言い分に「働いてお金を稼ぐことも、間接的に育児に貢献しているといえるのでは??妻に育児を丸投げしていたとしても、妻と子供を養うことで結果的には育児をしたことになっているのでは??」と言うものがある。

けれどもそれを言ってしまえば、家事をすることで、妻本人や夫、そうして子供の心身の健康を保つことも、巡りに巡って育児をしているといっていいのでは??とも、私は思ってしまう。

 

  • 料理⇒母親の母乳の素、離乳食、子供の食事も含まれる
  • 洗濯⇒子供の洋服の洗濯も含まれる
  • 掃除・片付け⇒子供の健康維持(喘息やウィルス対策)、赤ちゃんの誤飲防止も含まれる
  • その他細かな家事のこだわり⇒結果、節約につながるのであれば、教育費等の増加することで育児とに含まれる
もっと言えば、母親の適度なひとり時間(自由時間)も、母親の心身の健康を促すために必要な要素であり、イライラせず子供ににこやかに接するためには必要な条件だとも思ってしまうのだけれども、これも拡大解釈のしすぎなのだろうか??

夫の休日

 夫が休みの日は、少し疲れる。

なぜだろうか??

おそらく、家事に育児にと夫に過剰な期待をしてしまっているからなのだろう。けれども、それらの期待は様々な形で結果裏切られてしまうことがままある。だから、疲れを感じてしまうのだ。

 

 

夫は基本平日休みだ。

上の娘は8時に幼稚園に登園していく。上の娘が帰宅するまでの時間(正確には、昼食に間に合うようにと午後1時ごろが目安らしいが)、夫は自分の自由時間だと思っているらしい。

らしいというのは、形式上夫はいつも外出の際私にお伺いを立てるからだ。

また、下の娘はまだ授乳があるため、下の娘の面倒を責任を持って自分だけで見る、という選択肢がそもそもまったくない。そのため、自分は家にいる必要がない(家にいなくても問題ない)と考えているようなのだ。

 

夫にとっての一人時間

 

夫にとっての一人の時間は、与えられた当然の権利であるらしい。

一方で、私にとっての一人の時間は、基本もろもろの条件(娘たちを預ける人間の都合はもちろんのこと、娘たちのどちらかが寝ていること、もしくはお腹等が満たされていて機嫌が良いことなど)が揃っているという大前提の下、頭を下げて、相手の都合を優先して、ようやく得られるものだ。

 

夫が休日の日に外出する際(夫は一人の時間をあまり家ではすごさない)、一応許可をとるような声の掛け方をする。

「今から〇〇へ行っていい??」「〇月〇日、△△へ行ってきたいんだけど・・・・・・」と。

この問いに、私は「嫌だ、行かないで欲しい」とは言いづらい。なぜなら、具体的に私が困ってしまうという論理的な理由がないからだ。あるのは「自分ばっかりずるい!!」「私も一人で外出したい!!」と言う感情論だけだ。

夫が仕事の日は、夫なしでも日中の日常生活を成立させている。(多少の不都合やしんどさは当然伴うが)だからこそ、「嫌だ、行かないで欲しい」と言う返答をすることに、多少のためらいが私にはある。普段できていることを、夫が休日だからと言って「できない」と助けを求めるのは、違うのではないか。自分が楽になるために、夫を束縛するのは、私のわがままではなか、と思ってしまうからだ。

 

もっとも、毎度毎度快く「いっておいで」と答えられているわけではない。むしろ逆で、言葉を濁すような、はっきりしない態度をとってしまうことのほうが多い。けれども、夫は私の鈍い反応にも目もくれず、そのまま出かけて行ってしまう。

 

もしかしたら、夫自身も多少の罪悪感や後ろめたさがあるのかもしれない。とはいえ、私には夫がそのような感情を抱きつつひとり時間を楽しんでいるようには、どうしても思えない。

 

 

「育児に疲れたママに、一人の時間を作ってあげましょう」という、甘い誘惑

 

子育てコラムや相談サイト等で、時折見かけるアドバイスの一つに、「育児に疲れたママに、一人の時間を作ってあげましょう」という、お決まりのフレーズがある。

ネットにどっぷりつかってしまっている私は、無意識のうちに夫に過度の期待してしまっているらしい。だからこそ、その期待が裏切られたことに、ひどく落胆してしまうのだ。

 

娘たちに懐かれているし、育児も家事も積極的なはずの夫だ。「たまには、一人で出かけておいで」と時が来れば言ってくれるに違いない、と・・・・・・

 

けれども、当の夫にとっては、相当ハードルの高い期待なのだろう。日ごろの仕事の疲れもある。気晴らしもしたい。おまけに下の娘は完全母乳だ。自分の手におえずお手上げ状態の夫の姿も幾度となく見ている。夫にしてみれば、ひどく難しい相談なのかもしれない。

 

おそらく、夫としては「言わない」のではなく「言えない」のだろう。

私には「言えない」のではなく「言わない」と感じてしまうのだけれど。  

メディア(ネットとテレビ)と育児

我が家のかかりつけの小児科の壁に、以前このようなポスターが貼られていた。

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上の娘が生まれたばかりの頃、娘は回数も頻回だったことに加え、一回の授乳で1時間近く乳首を離さないこともざらだった。

初めての育児で右も左もわからず、入院時からスマホを片手に、「新生児 寝ない」「新生児 泣き止まない」などといったキーワードで、頻繁に検索をかけていたことを思い出した。

 

一方で、産後実家にお世話になっていた際、父親から授乳中のテレビの視聴に関して苦言を呈されてもいた。

けれども、結局はテレビもスマホもやめることができなかった。

 

今でも下の娘の授乳中は、頭を撫で色々と話しかけながらも、娘が寝てしまったり視線がこちらを向いていない時などは、携帯(スマホはやめてしまったので)をいじったり、テレビを眺めたり、読書をしたり、新聞を読んだりしながら過ごしている。

 

 

育児中、私がネットやテレビがやめられない理由。

スマホ育児という言葉がある。

スマホに育児をさせている」という意味と、「スマホをしながら育児をしている」という、二つの意味があるらしい。

 

前者にも、後者にも身に覚えが私にはおおいにある。

スマホではないが、テレビやPCの動画を要所要所私たち大人の都合で利用してしまっているからだ。

夕食作りなどの家事に集中したいとき、下の娘の授乳中などに、上の娘の気を逸らすためにテレビを見せてしまう。

そうして私自身も、自分の手が空いているにもかかわらず、娘たちの隙を見て(一人遊びをしているときなど)、息抜きと称してついついリモコンやPCに手を伸ばしてしまう。

 

なぜ、こんなにもネットやテレビがやめられないのだろうか??

言い訳だが、ネットやテレビは私の日常生活の中に、しっかりと根付いてしまっているからだ、と私は思っている。

私にとって、ネットやテレビは手軽な情報収集の手段であるとともに、長年続けてきた趣味であり娯楽でもある。

物理的にそれらを日常生活から切り離さない限り(ネットを解約する、PCや携帯を隠す、テレビをリビングに置かないなど)、スマホ育児から卒業することは、私にはなかなか難しいだろう。

 

ネットとテレビの付き合い方について思うこと

 「スマホ育児」の問題点は、親の手が空いているにもかかわらず、親や子供がメディアに触れてしまうことだろう。

家庭育児の醍醐味は、子供の成長を日々実感できること、毎日ゆったりとした気持ちで育児に専念できること、だと私は思っている。

おそらく「スマホ育児」のその先には、虐待(ネグレクト)に繋がってしまう危険性がはらんでいるのからこその、問題定義なのだろう。

 

 

とはいえ、家庭育児とは言っても、子供の相手ばかりはしていられないのが現実だ。

 家事だけではない、自分の心と体の健康のために休息の時間も大事だと私は思っている。けれども、子供が起きている限り、この休息の時間にネットやテレビを利用することはふさわしくないとされている。

けれどもどうだろう。PCを使った仕事や家事(家計管理など)も存在するし、Web上で読書もできる。テレビでニュースや社会問題を扱ったドキュメンタリーを見ることで勉強もできる。

そもそも、世の母親たちの多くも育児をしながらも、家事をしたり仕事をしたり、資格の勉強をしたり、ハンドメイドなどの趣味をしたりと、その隙間時間(寝ている時ばかりでなく、一人遊びをしているときなども含め)に、ネットやテレビ以外のことでしていることはたくさんあるのではないだろうか。

日常生活の中で、皆が皆常に子供にかかりきりなっているのわけではないのでは??と思うのだ。

 

だからこそ、思ってしまう。ものすごい屁理屈だとも思うのだけれども。

ネットやテレビがダメで、家事や仕事、読書はいいのはなぜなのだろうか??と。 

ひとりになりたい、自由になりたい、と思うこと。

「ひとりになりたい」と思うことは、,それほど贅沢な願望なのだろうか??

いや、私は幸運なことに、二人の娘を育てながらも一人の時間を持つことが難しい環境に身を置いていない。

私はとても恵まれている。

家事に育児にと協力的な夫と、口も出すが手も同時に出してくれる両親が身近にいる。義理の両親とも良好な関係を保っている。義理の実家に遊びに行けば上げ膳据え膳、おまけに上の娘が義理の両親に非常に懐いているおかげで、滞在中に私の手を煩わせることはあまりない。

 

それなのに、思ってしまう。ひとりになりたい、と。

ひとりになって、心置きなく自由な時間を過ごしたい、と。 

 

「たまには私もひとりになりたい。ひとりで寝たい」

 

ある日、ふと夫に漏らしたら、こう返ってきた。

「一生子供たちと会えなくなってもいいの?」と。

極端に飛躍されたその返答にまず驚いてしまった。そうして、すぐに返す言葉が見つからず、しばし口ごもってしまった。

単なる嫌味だったのだろうか。それとも、特別意味のない、素直な感想だったのだろうか??

 

 

日中常に誰かしらと一緒にいる生活。

たとえ一人の時間がもてたとしても、罪悪感と申し訳なさが常についてまわる。

夫や両親からの連絡を常に気にかけながらの病院通いや、美容院。両親に娘たちを見てもらいつつの夕飯づくりや、上の娘用の裁縫仕事。

どれも純粋な一人の時間ともいいがたく、しかも両親や夫の都合に大きく左右もされる。彼らが限界!!と匙を投げ、その貴重な「ひとりの時間」が早まる可能性も大いにある。

 

 

夜は夜で、一つのシングルサイズの布団で親子三人、二人の娘に挟まれて寝る毎日。

夜泣きの対応は常に私。下の娘はもちろん、上の子の寝かしつけも基本は私ではないとできない。(もちろん例外もあるけれど)

だからこそ、余計「ひとりになりたい、自由になりたい」と思うのかもしれない。

 

ひとりになって、したいこと。ひとりでしか、楽しめないこと。

 

私は、友人が決していないわけではないが(多くもないけれど)、一人で行動するのも苦にならないタイプだ。むしろ、一人を楽しめるタイプの人間だ。

一人で映画も観るし、カフェにも入る。

それ以前に、私の趣味は読書や映画鑑賞など、一人きりで完結できるものが多い。逆に言えば、一人きりのほうが集中して楽しめる種類の趣味でもある。結婚・妊娠が遅かったことも大きいかもしれない。共働き時代も夫とは基本休日が合わなかったこともあって、一人で過ごす時間は長かった。

 

一人きりで過ごすことに慣れすぎてしまった自分。

一人きりで楽しむ趣味を持ってしまった自分。

 

子供とともに楽しめ、かつ後ろめたさやストレスを感じない趣味を妊娠中に持てなかったことを、少し後悔している。

 

 

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夫の本音??理想はワンオペ育児がストレスなくできるようになること。

私の夫は、育児に家事にとても協力的だ。

料理こそしないが(できないわけではない。共働き時代は、休日が合わなかったこともあり、最低週一回は夕食を作ってくれていた。)、皿洗いと洗濯は積極的にやってくれる。掃除は私の手が塞がっていて、かつ家族で外出の用事があるときなどは自発的にやってくれる。

育児に関しても、おむつ替えや上の娘の食事のお世話にも別段抵抗を示さない。特に、食事に関しては、自分が作ることがない分、娘の度重なるわがままや、好き嫌い、そして偏食にも、イライラすることもほとんどない。

(一方の私は、栄養面の心配もあって、時に鷹揚に構えていられない時がある。料理の感想、献立などに関しても、娘を思って、自分が食べたいものという基準ではなく、娘が好きそうなものという基準で料理を作っているので、過剰反応しすぎるきらいがある。)

 

そうして、夫は常々私をねぎらってくれるし、育児の大変さ、家事との両立の難しさに共感してくれる。

けれども、夫婦の会話の中でごく稀に、「でも、自分がいなくてもできるようになる(家事も育児も)といいよね」というようなニュアンスのコメントを口にすることがある。

この「自分がいなくても」の中には、仕事が理由でという建前の中に、自分の趣味の外出(日帰りの遠出や一泊旅行も含め)という本音が見え隠れしているのだが。

 

ワンオペ育児という言葉がある。

夫が激務であったり、単身赴任であったりで夫が頼れず、身近に両親、兄弟、義理両親もおらず、自分一人で家事と育児をこなさなければいけない状況を指す言葉だ。

 

ネットの世界(私が好んで見てしまう、質問・相談サイトや、2chまとめサイト)では、ワンオペ育児がつらいという弱音を吐く者があらわれると、必ずと言っていいほどワンオペ育児に何の苦痛もストレスも感じないという人間から、激しく叩かれるという光景を目にする。

 

ワンオペ育児も色々だろう。

世の中には、ワンオペ育児を心から楽しめる人間もいるだろう。

楽しめないまでも、別段ストレスを抱えずともワンオペ育児を遂行できる人間もいるだろう。

けれども、多大なストレスを抱え、虐待スレスレの行為に走りながらワンオペ育児に耐えている人間もいるのではないだろうか。

 

私はワンオペ育児ができない人間だ。

いや、正確には楽しみながらワンオペ育児ができない人間だ。

だからこそ、夫に、自分の両親に、頭を下げ育児を手伝ってもらっている。夫も両親も、私のキャパの狭さを良くも悪くも理解してくれているおかげで、2人の娘の育児がかろうじて成り立っている現状がある。

 

けれども、時折ワンオペ育児を楽しみながらできたほうが、私にとっても娘たちにとっても幸せなのではないか、と思うことがある。

夫の帰宅時間に左右されない育児。

夫の趣味の外出に一喜一憂されない生活。

自分の中で夫の存在価値が若干薄らいでしまうかもしれないけれども、自分の精神衛生上、悪いことばかりではないのでは??とも思ってしまうのだ。

 

ワンオペ育児を、ストレスを感じることなく楽しんで受け入れるにはどうすればよいのだろうか??