日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。

メディア(ネットとテレビ)と育児

我が家のかかりつけの小児科の壁に、以前このようなポスターが貼られていた。

f:id:mikiponnsuke:20170420223505j:plain

 

上の娘が生まれたばかりの頃、娘は回数も頻回だったことに加え、一回の授乳で1時間近く乳首を離さないこともざらだった。

初めての育児で右も左もわからず、入院時からスマホを片手に、「新生児 寝ない」「新生児 泣き止まない」などといったキーワードで、頻繁に検索をかけていたことを思い出した。

 

一方で、産後実家にお世話になっていた際、父親から授乳中のテレビの視聴に関して苦言を呈されてもいた。

けれども、結局はテレビもスマホもやめることができなかった。

 

今でも下の娘の授乳中は、頭を撫で色々と話しかけながらも、娘が寝てしまったり視線がこちらを向いていない時などは、携帯(スマホはやめてしまったので)をいじったり、テレビを眺めたり、読書をしたり、新聞を読んだりしながら過ごしている。

 

 

育児中、私がネットやテレビがやめられない理由。

スマホ育児という言葉がある。

スマホに育児をさせている」という意味と、「スマホをしながら育児をしている」という、二つの意味があるらしい。

 

前者にも、後者にも身に覚えが私にはおおいにある。

スマホではないが、テレビやPCの動画を要所要所私たち大人の都合で利用してしまっているからだ。

夕食作りなどの家事に集中したいとき、下の娘の授乳中などに、上の娘の気を逸らすためにテレビを見せてしまう。

そうして私自身も、自分の手が空いているにもかかわらず、娘たちの隙を見て(一人遊びをしているときなど)、息抜きと称してついついリモコンやPCに手を伸ばしてしまう。

 

なぜ、こんなにもネットやテレビがやめられないのだろうか??

言い訳だが、ネットやテレビは私の日常生活の中に、しっかりと根付いてしまっているからだ、と私は思っている。

私にとって、ネットやテレビは手軽な情報収集の手段であるとともに、長年続けてきた趣味であり娯楽でもある。

物理的にそれらを日常生活から切り離さない限り(ネットを解約する、PCや携帯を隠す、テレビをリビングに置かないなど)、スマホ育児から卒業することは、私にはなかなか難しいだろう。

 

ネットとテレビの付き合い方について思うこと

 「スマホ育児」の問題点は、親の手が空いているにもかかわらず、親や子供がメディアに触れてしまうことだろう。

家庭育児の醍醐味は、子供の成長を日々実感できること、毎日ゆったりとした気持ちで育児に専念できること、だと私は思っている。

おそらく「スマホ育児」のその先には、虐待(ネグレクト)に繋がってしまう危険性がはらんでいるのからこその、問題定義なのだろう。

 

 

とはいえ、家庭育児とは言っても、子供の相手ばかりはしていられないのが現実だ。

 家事だけではない、自分の心と体の健康のために休息の時間も大事だと私は思っている。けれども、子供が起きている限り、この休息の時間にネットやテレビを利用することはふさわしくないとされている。

けれどもどうだろう。PCを使った仕事や家事(家計管理など)も存在するし、Web上で読書もできる。テレビでニュースや社会問題を扱ったドキュメンタリーを見ることで勉強もできる。

そもそも、世の母親たちの多くも育児をしながらも、家事をしたり仕事をしたり、資格の勉強をしたり、ハンドメイドなどの趣味をしたりと、その隙間時間(寝ている時ばかりでなく、一人遊びをしているときなども含め)に、ネットやテレビ以外のことでしていることはたくさんあるのではないだろうか。

日常生活の中で、皆が皆常に子供にかかりきりなっているのわけではないのでは??と思うのだ。

 

だからこそ、思ってしまう。ものすごい屁理屈だとも思うのだけれども。

ネットやテレビがダメで、家事や仕事、読書はいいのはなぜなのだろうか??と。 

ひとりになりたい、自由になりたい、と思うこと。

「ひとりになりたい」と思うことは、,それほど贅沢な願望なのだろうか??

いや、私は幸運なことに、二人の娘を育てながらも一人の時間を持つことが難しい環境に身を置いていない。

私はとても恵まれている。

家事に育児にと協力的な夫と、口も出すが手も同時に出してくれる両親が身近にいる。義理の両親とも良好な関係を保っている。義理の実家に遊びに行けば上げ膳据え膳、おまけに上の娘が義理の両親に非常に懐いているおかげで、滞在中に私の手を煩わせることはあまりない。

 

それなのに、思ってしまう。ひとりになりたい、と。

ひとりになって、心置きなく自由な時間を過ごしたい、と。 

 

「たまには私もひとりになりたい。ひとりで寝たい」

 

ある日、ふと夫に漏らしたら、こう返ってきた。

「一生子供たちと会えなくなってもいいの?」と。

極端に飛躍されたその返答にまず驚いてしまった。そうして、すぐに返す言葉が見つからず、しばし口ごもってしまった。

単なる嫌味だったのだろうか。それとも、特別意味のない、素直な感想だったのだろうか??

 

 

日中常に誰かしらと一緒にいる生活。

たとえ一人の時間がもてたとしても、罪悪感と申し訳なさが常についてまわる。

夫や両親からの連絡を常に気にかけながらの病院通いや、美容院。両親に娘たちを見てもらいつつの夕飯づくりや、上の娘用の裁縫仕事。

どれも純粋な一人の時間ともいいがたく、しかも両親や夫の都合に大きく左右もされる。彼らが限界!!と匙を投げ、その貴重な「ひとりの時間」が早まる可能性も大いにある。

 

 

夜は夜で、一つのシングルサイズの布団で親子三人、二人の娘に挟まれて寝る毎日。

夜泣きの対応は常に私。下の娘はもちろん、上の子の寝かしつけも基本は私ではないとできない。(もちろん例外もあるけれど)

だからこそ、余計「ひとりになりたい、自由になりたい」と思うのかもしれない。

 

ひとりになって、したいこと。ひとりでしか、楽しめないこと。

 

私は、友人が決していないわけではないが(多くもないけれど)、一人で行動するのも苦にならないタイプだ。むしろ、一人を楽しめるタイプの人間だ。

一人で映画も観るし、カフェにも入る。

それ以前に、私の趣味は読書や映画鑑賞など、一人きりで完結できるものが多い。逆に言えば、一人きりのほうが集中して楽しめる種類の趣味でもある。結婚・妊娠が遅かったことも大きいかもしれない。共働き時代も夫とは基本休日が合わなかったこともあって、一人で過ごす時間は長かった。

 

一人きりで過ごすことに慣れすぎてしまった自分。

一人きりで楽しむ趣味を持ってしまった自分。

 

子供とともに楽しめ、かつ後ろめたさやストレスを感じない趣味を妊娠中に持てなかったことを、少し後悔している。

 

 

f:id:mikiponnsuke:20170418164959j:plain

夫の本音??理想はワンオペ育児がストレスなくできるようになること。

私の夫は、育児に家事にとても協力的だ。

料理こそしないが(できないわけではない。共働き時代は、休日が合わなかったこともあり、最低週一回は夕食を作ってくれていた。)、皿洗いと洗濯は積極的にやってくれる。掃除は私の手が塞がっていて、かつ家族で外出の用事があるときなどは自発的にやってくれる。

育児に関しても、おむつ替えや上の娘の食事のお世話にも別段抵抗を示さない。特に、食事に関しては、自分が作ることがない分、娘の度重なるわがままや、好き嫌い、そして偏食にも、イライラすることもほとんどない。

(一方の私は、栄養面の心配もあって、時に鷹揚に構えていられない時がある。料理の感想、献立などに関しても、娘を思って、自分が食べたいものという基準ではなく、娘が好きそうなものという基準で料理を作っているので、過剰反応しすぎるきらいがある。)

 

そうして、夫は常々私をねぎらってくれるし、育児の大変さ、家事との両立の難しさに共感してくれる。

けれども、夫婦の会話の中でごく稀に、「でも、自分がいなくてもできるようになる(家事も育児も)といいよね」というようなニュアンスのコメントを口にすることがある。

この「自分がいなくても」の中には、仕事が理由でという建前の中に、自分の趣味の外出(日帰りの遠出や一泊旅行も含め)という本音が見え隠れしているのだが。

 

ワンオペ育児という言葉がある。

夫が激務であったり、単身赴任であったりで夫が頼れず、身近に両親、兄弟、義理両親もおらず、自分一人で家事と育児をこなさなければいけない状況を指す言葉だ。

 

ネットの世界(私が好んで見てしまう、質問・相談サイトや、2chまとめサイト)では、ワンオペ育児がつらいという弱音を吐く者があらわれると、必ずと言っていいほどワンオペ育児に何の苦痛もストレスも感じないという人間から、激しく叩かれるという光景を目にする。

 

ワンオペ育児も色々だろう。

世の中には、ワンオペ育児を心から楽しめる人間もいるだろう。

楽しめないまでも、別段ストレスを抱えずともワンオペ育児を遂行できる人間もいるだろう。

けれども、多大なストレスを抱え、虐待スレスレの行為に走りながらワンオペ育児に耐えている人間もいるのではないだろうか。

 

私はワンオペ育児ができない人間だ。

いや、正確には楽しみながらワンオペ育児ができない人間だ。

だからこそ、夫に、自分の両親に、頭を下げ育児を手伝ってもらっている。夫も両親も、私のキャパの狭さを良くも悪くも理解してくれているおかげで、2人の娘の育児がかろうじて成り立っている現状がある。

 

けれども、時折ワンオペ育児を楽しみながらできたほうが、私にとっても娘たちにとっても幸せなのではないか、と思うことがある。

夫の帰宅時間に左右されない育児。

夫の趣味の外出に一喜一憂されない生活。

自分の中で夫の存在価値が若干薄らいでしまうかもしれないけれども、自分の精神衛生上、悪いことばかりではないのでは??とも思ってしまうのだ。

 

ワンオペ育児を、ストレスを感じることなく楽しんで受け入れるにはどうすればよいのだろうか??

自分にとって苦手なことが、できて当たり前だと思われること。

 自分にとって苦手なこと、しんどい感じてしまうことが、第三者からできて当たり前だと思われることに、私は何とも言えないモヤモヤした気持ちになるときがある。

 

いや、当たり前という表現は適切ではないかもしれない。けれども、せざるを得ないという状況に陥った時、当然「断る、やらない」という選択肢は存在しないのだから、やはり「当たり前」と表現するほか表現方法はない。そこには「誰かに頼る、逃げる」という解決方法も存在しないのだから。

 

きっと、やればできるのだろう。

そこに質や完成度を求めなければ。

そこに「我慢や、努力」が加われば。

そうして「イライラや、ストレス」も加われば。

 

けれども、もし、当事者が子供であったら。

娘が苦手意識を持っている事柄に関して行動を促す際、親である私は必ずと言っていいほどフォローをする。

言葉でやさしく励ましたり。

大げさに褒めたたえたり。

手際よく、気持ちよく進められるように事前に周到な準備をしたり。

頭の中で、様々なシミュレーションをすることで不測の事態に備えられるように心積もりをしたりする。

 

一方大人が当事者だとどうだろう??

皆が皆、相手に対して自分から歩み寄ったり、話し合いの中ですり合わせをしたりといった、努力をするだろうか??

少なくとも、私の会社員時代には、なかなかそのような上司や先輩には巡り合うことはできなかった。

家の中でも、夫には夫の事情がある。能力もある。キャパシティーもある。こだわりもある。性格もある。常に歩み寄ってもらうことは当然できない。時には、あえて言葉をはぐらかして無視を決め込むこともある。この欠点に関しては私にも身に覚えがある。だからこそ、それを強く求めることは、とても難しい。

 

大人になってしまうと、求める側が声を大にして「お願いだから歩み寄ってください」ということはとても困難だ。いや、憚られる。時には、言ってはいけない雰囲気さえ漂うこともあるように思う。

ネットの中の質問・相談サイトのなかでも、逆の立場、つまり「お願いされる」立場の人間には「歩み寄りましょう」と窘められることがあっても、「お願いする」立場の人間には「甘えるな!!努力しろ!!図々しい!!」と叱咤されることが多いように思う。(私の思い込みもあるかもしれないけれど)

 

それが大人と子供の違いだ、と言われればそれまでなのだろうけれど。

だから、そのように思ってしまう私は、まだまだ大人になりきれていないのだろう。だから、子育てに対しても夫や両親に頼ることを当然と思ってしまうのだろうか?

夫に対する、イライラ。子供に対する、イライラ。

私は、いくつかの条件が重なるとイライラのスイッチが入ってしまう。

自分が疲れているとき、生理的欲求(食欲、睡眠欲、排泄)と基本的生活習慣’(入浴、着替え、歯磨きなど)が満たされていないときに、娘たちが愚図ったり泣き出したりするパターンもその一つだ。

 

また、下の娘はまだしも、上の娘の場合、不思議なもので愚図りの種類によってもスイッチが入りやすくなったり、ぐっと我慢ができたりもする。

以下主な5つのケースでは、下に行くにしたがって、自分のイライラのハードルが低くなっていくように思う。

 

  1. 原因が目に見えて明らかであるとき。(おしっこの失敗、寝愚図り、転んだ時などの体の痛みの訴え)かつ、対処可能なとき。
  2. 原因が目に見えて明らかであるが、その程度が私の感覚では低いと感じた時。(着替えが自分で上手く出来なかった時、工作の出来が悪かった時、食事が自分の好みに合わなかった時など)かつ、対処可能なとき。
  3. 原因が目に見えて明らかであるとき。かつ、対処不可能なとき。(物理的、心理的な理由でも)
  4. 原因が目に見えて明らかであるが、その程度が私の感覚では低いと感じた時。かつ対処不可能なとき。(物理的、心理的な理由でも)
  5. 原因がまったく不明なとき。

 

 

 一方、私が夫にあからさまに(時には大きな罪悪感を抱くこともなく)イライラしてしまうとき、1のような状況に私自身がおかれている場合が多いように思う。

私が、朝から自分の食事は後回しで娘たちの食事の準備や世話にせわしなく立ち回っている状況にあるにもかかわらず、夫は一人のんきに休憩をしていたりする。そんな光景だ。

けれども、当の夫本人は5のような心境なのだろう。だからこそ、私が夫の言動に対してイライラしているにもかかわらず、逆に夫が私に対してイライラしてしまうという、悪循環に陥ってしまう。

 

状況を冷静に説明して、お願いをすればいいだけの話なのだろう。「ごめん、おなかすいちゃった。○○ちゃんのごはん代わって」と。

けれども、私が本当に求めて、私の言いなりになってくれる夫ではない。私を気遣ってくれる夫なのだ。だからこそ、イライラしてしまうのだと思う。

おまけに、役割分担として、私には家事と育児がある。自分の中では、建前として家事と育児を私がするのは当然なのだ。そうして、夫にはあくまで「手伝ってもらう」という認識でいなければならない、という思い込みもある。だからこそ、「お願い」の一言を発することに、少々のためらいを覚えてしまうのだ。

それでいて、いよいよそのその言葉を口にできたときには、すでに心に余裕をなくしてしまっているがために、随分と刺々しい口調になってしまう。

 

もし、夫がもっと積極的に声をかけてくれたなら・・・・・・

などと、夫に対して時折贅沢な要求をしてしまいたくなる。