ニコニコした母親でいるためには・・・・・・
以前、友人との会話でこんな話題が出た。
「母親がニコニコするためには、母親だけが努力をしないといけないのだろうか??」
こちらの記事を読んで、そんな友人とのエピソードを思い出した。
「無責任礼讃ブーム」という表現がされている。
本来、育児をするにあたって、基本的にはワンオペ育児というか、自分の家族(私たち夫婦)だけで完結すべきであって、自分の実家ありきの現在の我が家の育児環境は、恵まれすぎているという自覚のある私にとっては、とても耳の痛いテーマだ。
自分のストレスをコントロールできないがために、自分の実家に頼ることで、その苦しみから逃げているのが、今の私だ。本来ならば、それらを自らの努力で乗り越えることで、解決していかなければならない課題であるはずなのに、その努力を怠っているのだ。甘えているな、と自分でも思う。だからこそ、色々考えてしまう。どうすればいつもニコニコした母親でいられるのだろうか、と。
けれども、その一方で、肝心かなめのストレスのコントロールの仕方を身に着けるために努力しなければならないのは、自分だけなのだろうか??と疑問に思う自分もいる。
「ニコニコした母親でいるために、頑張ってね」と笑顔で肩を叩いた夫
何年か前、まだ上の娘が赤ちゃんだった頃の話だ。水曜日の9時にフジテレビで今も放映されている「ホンマでっか!TV」のとある回で、「母親が常にニコニコしていたほうが、子供の情緒が安定する」というような話があった。(正確な内容はうろ覚えだが、母親が常にニコニコしたほうが、子供のために良いという内容ではあったように記憶している)
その際、ソファーで隣り合って座っていた夫が、「だってさ、ポン助も頑張ってね!!」と、他人事のような口ぶりで肩を叩いて、私を励ました。
けれども私は、そんな夫の反応に違和感を覚えた。
「あぁ、頑張るのは私だけなんだな」
「母親がニコニコできるように、僕も頑張るよ!!ていう発想はないんだな」
寂しさと同時に、怒りにも似た複雑な感情を、私は抱いてしまったからだ。
上記のブログに登場する知人女性のような人間を間近で見たら、私も自分のことを棚に上げて違和感を覚えるのだろう。
けれども、同時に彼女の周りの人間(夫や両親、義理両親)は、どう思っているのだろうか??どう立ち回っているのだろうか??具体的な助言をしているのだろうか??彼女の望む形で手を差し伸べているのだろうか??などと、考えてしまうのではないだろうか。
おそらく、この知人女性の姿が自分とダブってしまったからだろう。件の知人女性を全面的に擁護することはできないが、かといって真っ向から否定するのも、違うような気が私はしてしまう。
>ニコニコした母親になる為には好きな事だけしかしてはいけない。
イヤな事をしているとギスギスした母親になる。
何故にその二択なのか。二択で考える根拠が分からない。
自分の責任を果たしながら、楽しく生きればよいのではないか。楽しく生きる為には無責任にならねばならない、というルールはないと思う。
ブログにはこのような記述がある。
「自分の責任を果たしながら、楽しく生きればよいのではないか。」
確かにそうだろう。
私も、楽しみながらワンオペ育児ができれば、と常に思っている。けれども、今の私にはそれができない。その具体的な方法もわからない。
おそらく知人女性も、子供と向き合いながら自分を楽しむ方法がわからないのだろう。そうして、身近にそれを手助けしてくれる人がいないのだろう。そんな妄想めいた感想を、ついつい抱いてしまった。
「無責任な方法でしか、楽しく生きられない。」人間は確かにいるだろう。けれども、他の方法を知らない(知ろうとしないだけかもしれないけれど)人間にとっては、それはそれで悩ましい選択でもあったのではないか、とも私は思ってしまう。