日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

役割分担と適材適所。

理想は、適材適所の先に役割分担があることだ。
けれども、現実は違う。
役割分担の根拠は適材適所では必ずしもない。


私は現在仕事をしていない。
理由は、初めての妊娠と会社の業績悪化による人員削減が重なり、口頭での産休申請が通らなかったためだ。

私にもっと稼ぐ能力(漠然とした表現だが)があり、もっと大きくて業績の安定した企業に勤めることができ、もっと評価されるような仕事ができていたら・・・・・・

そんな夢物語を、私は今でも時折想像してしまう。

なぜなら、現在の私は専業主婦であるにも関わらす「家事・育児」をそつなくこなしているとは言いがたいからだ。
私は今の自分には「家事・育児」が向いているとは、とても思えない。


家庭内での役割分担としては、私の仕事は「家事・育児」である。
とは言え、この役割分担を私は積極的に選択したわけではなかったのだと、今になって思う。


役割分担の理想は、「適材適所」に基づいた仕事の振り分けなのだろう。
けれども現実は、消去法であり、両者を天秤にかけて「どちらかと言えば・・・・・・」程度の、消極的な選択の結果だ。


家庭内での「仕事」と「家事・育児」の場合、より稼げるほうが「仕事」を選び、より稼げないほうが「家事・育児」を選択することとなる。
片働き家庭のみならず、共働き家庭の「家事・育児」の分担についても、同様のことが言えるだろう。

稼げるほうが「家事・育児」の負担が軽減される。
労働時間が長いほうが「家事・育児」の負担が軽減される。
家計への貢献度が高いほうが「家事・育児」の負担が軽減される。

理想はフィフティフィフティなのだろうけれども。
収入や労働時間、家計への負担の如何によって、その割合が違ってしまうのが現実なのではないだろうか。


もっとも、一度役割分担を決めたのならば、自分に与えられた役割を全うすべく、努力と工夫そうして勉強を怠らないことが正解なのだろうけれども。
仕事は、会社からの評価がある。その評価は年収や昇給、昇格として目に見える形で現れる。
一方で、「家事・育児」はその評価がはっきりと形にはなりにくい。そのため、「家事・育児」は簡単で、誰にでもできる仕事であると思われがちだ。



ネットでは時折、男性からのこんな悩み相談や愚痴を目にする。
「妻は専業主婦なのに、家事をおろそかにする」
「専業主婦の妻から、家事・育児の手伝いを求めれられるて困っている」

けれども、
「夫は、私が専業主婦なのに、ちゃんと稼いできてくれない」
という話はあまり聞かない。

なぜなら「仕事」は努力すれば必ず稼げるようになるわけではない。
けれども「家事・育児」は、努力の如何でかなんとかなる、と多くの人が思っているからだ。

妻が専業主婦をしているからと言って、必ずしも夫の年収が上がるわけではない。
であるのであれば、妻が仕事をしていないからと言って、妻の「家事・育児」が必ずしも完璧であるわけでもない。


にもかかわらず、専業主婦の妻の「家事・育児」のクオリティは高いはずだ、と多くの人が思い込んでいる。事実そうでなくても、そうであってほしいと内心願ってはいる人は多い。
とは言え、現実は正しい知識と技術がなければ、クオリティの高い「家事・育児」をすることはできない。


私個人の感想だけれども、「家事・育児」を「ちゃんと」「きちんと」「適切に」取り組もうと思ったら、それなりの知識と技術が必要だ。
けれども、その知識と技術には、一定のガイドラインがあるようでないのが現状だ。


まとまりのない文章だけれども、最近こんなことをつらつらと考えてしまう。
心に余裕がない証拠なのだろうか。