自分にとって苦手なことが、できて当たり前だと思われること。
自分にとって苦手なこと、しんどい感じてしまうことが、第三者からできて当たり前だと思われることに、私は何とも言えないモヤモヤした気持ちになるときがある。
いや、当たり前という表現は適切ではないかもしれない。けれども、せざるを得ないという状況に陥った時、当然「断る、やらない」という選択肢は存在しないのだから、やはり「当たり前」と表現するほか表現方法はない。そこには「誰かに頼る、逃げる」という解決方法も存在しないのだから。
きっと、やればできるのだろう。
そこに質や完成度を求めなければ。
そこに「我慢や、努力」が加われば。
そうして「イライラや、ストレス」も加われば。
けれども、もし、当事者が子供であったら。
娘が苦手意識を持っている事柄に関して行動を促す際、親である私は必ずと言っていいほどフォローをする。
言葉でやさしく励ましたり。
大げさに褒めたたえたり。
手際よく、気持ちよく進められるように事前に周到な準備をしたり。
頭の中で、様々なシミュレーションをすることで不測の事態に備えられるように心積もりをしたりする。
一方大人が当事者だとどうだろう??
皆が皆、相手に対して自分から歩み寄ったり、話し合いの中ですり合わせをしたりといった、努力をするだろうか??
少なくとも、私の会社員時代には、なかなかそのような上司や先輩には巡り合うことはできなかった。
家の中でも、夫には夫の事情がある。能力もある。キャパシティーもある。こだわりもある。性格もある。常に歩み寄ってもらうことは当然できない。時には、あえて言葉をはぐらかして無視を決め込むこともある。この欠点に関しては私にも身に覚えがある。だからこそ、それを強く求めることは、とても難しい。
大人になってしまうと、求める側が声を大にして「お願いだから歩み寄ってください」ということはとても困難だ。いや、憚られる。時には、言ってはいけない雰囲気さえ漂うこともあるように思う。
ネットの中の質問・相談サイトのなかでも、逆の立場、つまり「お願いされる」立場の人間には「歩み寄りましょう」と窘められることがあっても、「お願いする」立場の人間には「甘えるな!!努力しろ!!図々しい!!」と叱咤されることが多いように思う。(私の思い込みもあるかもしれないけれど)
それが大人と子供の違いだ、と言われればそれまでなのだろうけれど。
だから、そのように思ってしまう私は、まだまだ大人になりきれていないのだろう。だから、子育てに対しても夫や両親に頼ることを当然と思ってしまうのだろうか?