夫の本音??理想はワンオペ育児がストレスなくできるようになること。
私の夫は、育児に家事にとても協力的だ。
料理こそしないが(できないわけではない。共働き時代は、休日が合わなかったこともあり、最低週一回は夕食を作ってくれていた。)、皿洗いと洗濯は積極的にやってくれる。掃除は私の手が塞がっていて、かつ家族で外出の用事があるときなどは自発的にやってくれる。
育児に関しても、おむつ替えや上の娘の食事のお世話にも別段抵抗を示さない。特に、食事に関しては、自分が作ることがない分、娘の度重なるわがままや、好き嫌い、そして偏食にも、イライラすることもほとんどない。
(一方の私は、栄養面の心配もあって、時に鷹揚に構えていられない時がある。料理の感想、献立などに関しても、娘を思って、自分が食べたいものという基準ではなく、娘が好きそうなものという基準で料理を作っているので、過剰反応しすぎるきらいがある。)
そうして、夫は常々私をねぎらってくれるし、育児の大変さ、家事との両立の難しさに共感してくれる。
けれども、夫婦の会話の中でごく稀に、「でも、自分がいなくてもできるようになる(家事も育児も)といいよね」というようなニュアンスのコメントを口にすることがある。
この「自分がいなくても」の中には、仕事が理由でという建前の中に、自分の趣味の外出(日帰りの遠出や一泊旅行も含め)という本音が見え隠れしているのだが。
ワンオペ育児という言葉がある。
夫が激務であったり、単身赴任であったりで夫が頼れず、身近に両親、兄弟、義理両親もおらず、自分一人で家事と育児をこなさなければいけない状況を指す言葉だ。
ネットの世界(私が好んで見てしまう、質問・相談サイトや、2chのまとめサイト)では、ワンオペ育児がつらいという弱音を吐く者があらわれると、必ずと言っていいほどワンオペ育児に何の苦痛もストレスも感じないという人間から、激しく叩かれるという光景を目にする。
ワンオペ育児も色々だろう。
世の中には、ワンオペ育児を心から楽しめる人間もいるだろう。
楽しめないまでも、別段ストレスを抱えずともワンオペ育児を遂行できる人間もいるだろう。
けれども、多大なストレスを抱え、虐待スレスレの行為に走りながらワンオペ育児に耐えている人間もいるのではないだろうか。
私はワンオペ育児ができない人間だ。
いや、正確には楽しみながらワンオペ育児ができない人間だ。
だからこそ、夫に、自分の両親に、頭を下げ育児を手伝ってもらっている。夫も両親も、私のキャパの狭さを良くも悪くも理解してくれているおかげで、2人の娘の育児がかろうじて成り立っている現状がある。
けれども、時折ワンオペ育児を楽しみながらできたほうが、私にとっても娘たちにとっても幸せなのではないか、と思うことがある。
夫の帰宅時間に左右されない育児。
夫の趣味の外出に一喜一憂されない生活。
自分の中で夫の存在価値が若干薄らいでしまうかもしれないけれども、自分の精神衛生上、悪いことばかりではないのでは??とも思ってしまうのだ。
ワンオペ育児を、ストレスを感じることなく楽しんで受け入れるにはどうすればよいのだろうか??