家事を(一人で集中して)させてもらっている、という感覚
私は専業主婦だ。そうして、私の仕事は家事と育児だ。だから、夫がする家事と育児は、あくまで「してもらっている」と思っている。いや、そう思いたいと思っている。
けれども、現実は心のどこかで「して当たり前」と思っている。
昨今のイクメンブームもある。
下の娘がまだまだ手がかかるという現実もある。
核家族であるという言い訳もある。
自分が忙しなく立ち働いている目の前で、くつろぐ夫に対しての不公平感やイライラもそう思わせる原因なのだと思う。
日々、「してもらってありがたい」という思いと「して当たり前。もっとしてほしい」という思いの間で、揺れ動いている自分がいる。
GW中、帰省した友人と久しぶりに長話をした。
友人は1歳の娘を都会で育てている。友人知人は身近にいても、自分の両親は新幹線の距離、夫の両親は飛行機の距離に住んでいるので、気軽には頼れない。それゆえ、彼女自身育児に行き詰まっている様子だった。
当日は、夫の趣味の外出中に友人を我が家に招き、友人の娘と私の娘二人を交えながら、のんびりと過ごした。
その際、友人がこんな話しをしてくれた。
「家にいる旦那を見てるとさ、育児してあげてる、家事してあげてる。ってオーラをすごい出してるんだよね。でね、それが育児に集中させてあげてる。家事に集中させてあげてる、って恩着せがましく受け取れちゃって、何か嫌なんだよね。旦那はさ、”仕事に集中させてくれてありがとう”とは言わないわけだからさ」
この感覚、私はすごく共感できてしまったのだが、賛否が分かれる意見でもあるのだろうな、とも思ってしまった。
夫が家にいる時、自然家事と育児は夫と私どちらかで分担する形になる。たいていは、夫が育児、私が家事(時折、上の娘に呼ばれたり、下の娘の愚図りがひどいときはおんぶをしながら)と言う役割分担に落ち着く。
普段、家事をしながらの娘たちのお世話のため、余裕を持って娘たちに接してあげられない時間帯が生まれてしまうことは、私のストレスの一つだ。
(自分の休憩時間と育児が切り離されないことも、私が不満をため込んでしまう理由の一つでもあるのだけれども。)
私自身のキャパシティーの狭さと、能力の問題だろう。できるだけ、家事と育児が切り離された状態にあることが、私にとっては好ましいシチュエーションである。そのため、夫が家にいてくれることは、私の心持を大きく左右させる。
それゆえ、「家事に集中させてくれて、ありがたい」と言う気持ちが、夫が家にいる間には、常にあるように思う。具体的に娘たちのお世話をしてくれていなくても、大人の目が一人分増えるだけでも、心理的な余裕が生まれてくるから不思議だ。
けれども、一方で欲も出てしまう。夫が家にいるうちにできるだけ家事を済ませてしまいたい、というわがまま、こだわりがうまれてしまい、夫に対し「もっと、もっと」と要求が上がってしまうのだ。育児中の家事に効率を求めること自体がナンセンスなのだろうけれど、無意識に求めてしまっているのだ。
悪い癖だと自覚はしているが、なかなか改善できない。
だからこそ、家事を(一人で集中して)させてもらっているという、夫への感謝の気持ちがありながら、同時にもやもやとした気持ちも抱いてしまうのかもしれない。