日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。

「簡単なもの(食事)でいいよ」という、悪魔の言葉

こんな記事を見つけた。

blogos.com

 

我が家は共働きではない。けれども、2人の娘がまだまだ手がかかること、核家族であること、夫の趣味がアウトドア系で一人出の外出がままあることから、夫が気を利かせて上記のようなニュアンスのセリフ「簡単なもの(食事)でいいよ」をかけてくれることがある。

たいていが、夫の仕事が休み日の、昼食や夕食であることが多い。そうして同時に、夫が一人外出をしたか、もしくは家族で外出をしたか、のどちらかの条件が付くことも多い。

 

 

もっとも、料理をしたくない時にこのセリフを耳にすると、私は非常に気分が悪くなってしまう。私の場合、夫が一人きりで過ごせる自由時間を満喫している、という条件が加わると、特にそう感じてしまう。

 

私(ポン助)も疲れている、作りたくないのでは??という考えに、どうして至らないのか、と。

どうして、自分で食事を作るという発想がないのか、と。

 

 

外食や、総菜などに頼るという選択肢ももちろんある。けれども、我が家では経済的に、頻繁に気軽に選べるものでは決してない。

我が家は、夫から定額の生活費を貰ってやりくりをしているため(足りなくなったら都度貰っているものの極力額面内で納める努力はしている)、生活費が足りなくなり月末に節約生活を強いられるだろうという心理的負担感があるからだ。

 

だからこそ、簡単なものでも自分が作らざるえなくなる。(夫に作ってほしいとお願いしても断られてしまうため)

 

 

夫にとっての「簡単なもの(食事)」

夫にとっての「簡単なもの(食事)」は、私にとっても簡単なものであることが多い。けれども、それは同時に、物足りないものであることも多い。メニューもしかり、ボリュームもしかり、品数もしかり、栄養面もしかり。

今の季節はソーメン。

寒い季節はうどんやラーメン。(鍋に面と具材を一緒に入れて煮込むだけ)

チャーハン、カレー、スパゲッティや焼きそばなどの単品料理も多い。もっとも、チャーハンやカレーなどの時は、栄養面を考え、極力スープ(圧力鍋で煮込むだけ)とサラダ(生野菜を切っただけ)を私はつけるようにしているのだけれど。

 

 

食にこだわり(知識と意識)がない夫、多少のこだわりがある私

幸か不幸か、夫は食に対して全くこだわりがない。毎日カレーでもよいと発言したこともあるぐらいだ。

一方の私は、多少のこだわりがある。母親が料理好きだったことも影響しているのかもしれない。総菜に対する罪悪感もある。(母親が総菜を嫌っていた。味やコストパフォーマンス、栄養面を理由に)

また、時折母親との会話の中で、「野菜を取りなさい、たんぱく質を取りなさい、目標は一日30品目よ」などと助言されていることも大きいように思う。がっしりした(ぽっちゃりした??)夫の体つきを知っているからこその発言だ。

 

それゆえ、夫にとって簡単なもの(食事)では、私は満足できなかったり、妥協もできなかったりしてしまう。結局、ひと手間、二手間を加える(スープやサラダを加えるなど)ことになってしまうため、私にとっては「簡単なもの(食事)」は、簡単ではなくなってしまう。

 

 

「簡単なもの(料理)」の後始末、という考え方

主に料理を作るのは私だ。だからこそ、栄養面や健康面がとても気になる。

夫も私も決して痩せているほうではない。おまけに、上の娘は家ではとても偏食だ。(幼稚園の給食や、お弁当では好き嫌いなく食べているのだけれど)

子供の食事について、栄養面は一週間を通してトータル的にバランスが取れていればいいですよ、というアドバイスを受けたことがある。けれども、現状そのバランスがとてもとれているとは、私には思えない。それ故、私は一食一食に神経質になってしまいがちだ。毎日の一食一食の食事で、栄養を貯金しなければ、と考えてしまう。

対して、夫はそのような心配をあまりしていない。自分が料理をしないこと、栄養面に頓着しない性格、娘と食事を共にする回数が私より少ないことなどが理由だろう。そのため、栄養面の偏った「簡単なもの(食事)」へのハードルも低い。

 

 

そしてもう一つ。これは私のわがままなのだが、手抜き料理の頻度を一週間、一か月単位で考えると、今がその手の抜きどころなのか??と疑問に思ってしまう、というのも大きいように思う。

食にこだわりのある私は、我ながら面倒くさいが、毎週カレーとか、麺類が続く献立に、抵抗というか罪悪感を覚えてしまう。そのため、「今手を抜いてしまったら、明日手を抜きたくなっても、手を抜けなくなってしまう」という、強迫観念めいた考え方に陥ってしまいがちだ。そうして、夫が家にいて、家事と育児を切り離せることができているとき、その貴重な手抜きという手段を使ってもよいのだろうか??と、ついつい自問してしまうのだ。

 

もしかしたら、この偏った思考の癖が、一番の「簡単なもの(料理)でいいよ」というセリフへの嫌悪感の理由なのかもしれない。