夫に対して、我慢と努力を求めてしまうこと
最近購読を始めたブログに、このような記事が更新された。
私の育児は、ワンオペではない。けれども、夫の帰りが娘たちの寝かしつけの時間とかぶっていること、その寝かしつけは基本自分がしていること。夫の休日は自身の休息と気分転換をかねて、基本一日一回(小一時間から半日、時には丸一日)は一人での自由時間があることから、近くにいる両親を頼りつつも、娘達だけと過ごす時間も少なくないこともあり、色々考えてしまった。
私にとってのワンオペ育児
我が家の場合、自分の実家は近いし協力的だ。夫も、ここ2,3ヶ月は仕事が立て込んでいるとはいえ、9時には帰宅できている。サラリーマンなので、月に7日程度は確実に休みがある。最低限の家事・育児は積極的にしてくれる。義両親との関係も良好だ。
であるにもかかわらず、日々の生活の中でどうしてもワンオペ育児をしているような感覚に襲われる瞬間がどうしても生まれてしまう。核家族であり、かつ夫はサラリーマン(在宅勤務もできない)なのだから当然だ。
おそらく、一日の中で一番忙しい夕方の、「お風呂・夕食作り・食事の介助・寝かしつけ」を一人でこなさなければいけないことが、一番のプレッシャーなのだと思う。
私の両親は、「あくまで、我が家とポン助一家は別家族。手助けはするけど、一家の主(夫)中心の生活をすべし」と言う考えを持っている。そうして、私も両親と同じ考え持っている。
だからこそ、当然のことながら、一人で家事育児をこなさなければいけない時間帯が、一日の中でどうしてもできてしまう。(よっぽどのことがない限り、実家で夕食をとることはないし、上の娘が嫌がるのでお風呂を入ることもない)短時間であっても、ワンオペ育児にならざるを得ないのは仕方のないことだ。
我慢をしている私、夫に我慢を求めてしまう私
一人での家事育児は正直私にとってはしんどい。だからこそ、そのしんどさを軽減するための努力や工夫をすることになる。
私には、家事と育児の同時進行が難しい。それゆえ、娘達が寝ているとき、機嫌よく一人遊びしているときなどに家事を集中させている。
また、下の娘だけの時間のときは、おんぶをしながら家事をする事も多い。下の娘は、まだ8キロ台だ。それでも、長時間おんぶをしていると、体への負担は大きい。そんな我慢の上に、私にとっての一人での家事育児は成り立っている。
だからこそ、仕事で家を空ける場合は仕方ないにしても、休日や出社前や帰宅後などの夫の在宅時に、ワンオペ状態になってしまったり、自分が我慢を強いられる状態が続くと、その行き場のない苛立ちを夫にぶつけるべく、夫にも同じ苦しみを味あわせたくなってしまう。
もっとも、 夫に我慢を求めず、自分で工夫をして解決できることもあるだろう。件のブログで紹介されていたように、一時保育を利用する、家事代行サービスを利用する、最新家電を利用する、などなど方法はいくらでもある。もっと積極的に自分の両親に甘える、という選択肢もゼロではい。
けれどもそれらの解決方法では、私の不満は解決されない。夫がくつろいでいる(ように見えるだけでも)ことが、不満のみなもとなのだから。
夫が仕事で家を空けざる得ないのは仕方のないことだ。そこは割り切れる。
けれども夫が家にいるときに、自分だけが我慢をしているという状況に気づいてもらえない、気付いているけれども見て見ぬふりをされている。そんなシチュエーションに(自分の思い込みも多々あるのだろうけれど)不公平感を感じてしまうのだ。
しんどいとうメッセージを常に発信している私に、共感はすれども、時に積極的には手を出してはくれない夫に対する不満は、私の被害者妄想を大いに刺激する。
また、夫にとっての休日のひとり時間は、自分の心身のリフレッシュに必要不可欠だと主張しながら、私のひとり時間は、物理的に難しい(自分一人では下の娘のお世話ができない、いざとなった時に対応しきれない)という矛盾した主張もしていることも、私の不公平感を刺激させる要因の一つだ。
私がひとり時間を持てないのは、仕方のないことなのだろうか??という疑問が、常に頭から離れることはない。
夫婦は対等だと思いたい、けれども思えない私。
夫婦は対等だと人は言う。
家事育児を自宅でしていると、家の中が職場のような錯覚を覚えてしまう。一方、夫にとっての家は、くつろぎ心安らぐ場所だと思っている。
そうして、くつろぐ夫を前にして、自分の食事もままならない状況で立ち働いていると、なぜだか主従関係のような歪な関係性を夫と自分の間に見出してしまう。
これも私の直すべき考え方の癖なのだろうが、卑屈な気分にどうしてもなってしまうのだ。
だからこそ、そんなマイナス感情を消化すべく、夫に対しても自分と同様の我慢と努力を求めてしまうのだと思う。
また、私と夫が同時に家事育児をしているときには、夫には「無理、できない、やりたくない」という選択肢があることに、私自身が大いに嫉妬してしまっていることも無視できない。
上手いガス抜きの方法を自分で見つけるほか、解決策はないのだろう。
けれども、現状で思い浮かぶガス抜き方法では、どうしても100%の満足を得ることができない。
この100%の満足というこだわりが、もしかしたら一番の厄介なのかもしれないけれども。