日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

専業主婦の私が「夫に求める家事と育児」とは。

先日、とても考えさせられる記事を読んだ。

 

okorareruotoko.hatenablog.com

 

記事の中で、”理想の「専業主婦の夫」とは”という考察がある。

①外での仕事以外の時間は極力家事育児を行い妻の負担を軽減する。
②妻が外に出る機会(友人と会う、習い事など)を後押しし、その間の家事育児を担う。
③自分と同等の「お小遣い」「自由時間」を妻にも割り振る。それができない場合は自分も妻と同様に我慢する。
④妻の話を聞く。相談に乗ったり雑談をしたりして対話の時間を十分に取る。夫婦の時間を過ごす。
⑤妻の自尊心を尊重し、感謝の気持ちを伝える。
そして、付け加えるならば、「専業主婦の夫」であればこれも必須ではないでしょうか。
⑥大黒柱として収入を稼ぎ、家族の生活を支える。

専業主婦である私には、「なんて理想的な夫なんだろう」と素直に思った。

 けれども一方で、こうして文章にはっきりとまとめられると、逆に「専業主婦である妻の役割とは??」という問いかけが返ってきそうでもあり、ドキリとさせられもした。

妻が専業主婦であれば、夫の本分は「仕事」である。「家事・育児」は夫の「やる気次第」な面は否めない。

 

妻の負担を減らせば、夫の負担が増え。
夫の負担を減らせば、妻の負担が増える。

 

家事・育児の総量を減らすなり、外注するなり、最新家電や便利グッズと利用するなり、親を頼るなりしなければ、その事実は変わらない。

 

夫が現状で「精一杯」と訴えているのであれば、夫にそれ以上「お願い」することは難しいだろう。

そうして、夫が「やる気がない」「できない」「努力もしない」「必要性を感じていない」のであれば、妻に「夫をその気にさせる努力」が求められる。

けれども、日々家事と育児に疲弊している妻にとっては、その努力もまた難しい。

 

 

思うに、夫が自発的に、自分の生活の中で必要なこととして、何のストレスもなく、行動を起こしているのだったら、この考察はパーフェクトなのだろう。けれども、「嫌々」「やらされている感」を醸しながらだったらどうだろう??

 

私の夫も、時折イライラしながら家事をすることがある。

そんなとき、私はいつも心の中でこう叫ぶ。

「イライラするぐらいだったら、お願いだからやらないで!!」と。

家事をしてもらうことで、体の負担は確かに減る。けれども、同時に心の負担は増えるのだ。その判断は、とても難しい。

 

また、夫が「無理」に完璧であるのだから、妻も「無理」に完璧であるべきだ、となってしまっては、本末転倒なように、私は思う。

 

専業主婦の私が「夫に求める家事と育児」

夫の家事・育児を見ていて思うのだが、夫の家事・育児は「自分が困らないための家事・育児」であって、「妻である私の負担を減らすための家事・育児」ではない。それゆえ、夫の家事・育児では、私の心の負担が劇的に減らないことも多々ある。

例えば、優先順位の低い家事(牛乳の空きパックをつぶすなど)を、夫は基本見て見ぬふりをしがちだ。長期連休中、どんなに自分の時間があろうとも、自ら取り組むことはほとんどない。

とは言え、「仕事」が主な役割分担である夫に対して「私が楽をするため」に「私の負担を減らすための家事・育児」を要求するのには、違和感も覚える。

 だからこそ、私を含める多くの妻は、夫に直接訴えるのではなく、愚痴と言う形でネットで訴えるのではないだろうか??と、私は思う。

 

改めて、夫に求めること。

最近つくづく思うことがある。

それは、私の夫には「自分がいなくても、妻がストレスなくワンオペ育児できる住環境の整備」という視点が、もののみごとに欠けていることに、夫自身が全く気づいていないことだ。

仕事だけではない。休日も何かにつけて家を空けたがる夫である。そんな不在がちの「夫ありき」の「家事・育児」では、良くも悪くも何かと不都合が起こりやすい。

だったらいっそうのこと、「夫である自分がいなくても、家庭が回る努力」をもっとしてほしいなぁ、とつくづく思うのだ。

その先にきっと「妻である私の負担を減らす家事・育児」があるのだから。

 

 余談

件の記事の家庭は、ある意味特殊なケースだ。

 各家庭、それぞれに事情がある。外野が口を出しても仕方がない??ことなのかもしれない。ただ、個人的には、

「あまりにも夫が家庭に直接介入してしまうのも、夫が不在の際の「家事・育児」が全く回らなくなってしまうのでは??」

とは思った。(大きなお世話だろうが)