日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

会社の飲み会は「仕事」なのだろうか??

最近、夫の飲み会の回数が増えた。

人事の関係で、飲み会好きの上司が夫の部署に異動してきたからだ。

私も夫と同じ職場で働いていたこともあり、新しい飲み会好きの上司の人好きする人柄はとてもよく知っている。

とても楽しいお酒の席なのだろう。月2,3回程度の頻度ではあるが、 良い息抜きになっているようだ。相手は気の知れた職場の上司である。全ての飲み会は休日の前日に開催されており、仕事や体の負担に負担がないように考慮されてもいる。

 

上の娘が夫としかお風呂に入らなかった頃は、夫の飲み会はとても大きなイベントだった。早めに帰宅してもらい上の娘をお風呂に入れる、もしくは翌日早起きして出勤前にお風呂に入れる、というとても面倒くさい事を夫にはしてもらっていた。

もともとお酒が強くないこともあり、かつての夫は飲み会事体にとても消極的だった。ちょこちょこと誘いもあったようだが、「お金を払って、職場の人間と、好きでもないお酒を飲みたくない」と断っていたようだ。

 

けれども、上の娘が私とお風呂に積極的に入るようになってからは、飲み会のハードルがぐっと下がったようで、随分と気軽に誘いに応じるようになったようだ。

 

目次

 

飲み会は仕事か

 もともと、夫の職場では飲み会が少ない。

公に催される飲み会(部署全員が基本全員参加)は、年末年始、GW、お盆の長期休暇の前、プラス随時歓送迎会ぐらいだ。

子供が生まれる前は、月に一度「焼肉を食べる会」なるものが仲間内であったようだが、同時期に次々と同僚たちにも子供が生まれたこともあり、「焼肉を食べる会」は自然消滅してしまっている。

 

夫の飲み会が増える前、公に開催される飲み会に対して、夫はしばし「仕事」と呼んでいた。

時折、ネットでも聞く言葉だ。「ノミニュケーション」なる造語もある。実際、たとえ社内の飲み会であったとしても、上司に対する接待的な側面や同僚や部下との親交を深める意味合いが、飲み会にはあるのも事実だろう。

 

飲み会は、ただ単に楽しく飲み食いするだけではないのである。会話の相手も会話の内容も限られる。ある意味「仕事」という表現は正しい、のかもしれない。

 

私もサラリーマンを経験した身だ。

気の合わない同僚や、自分にきつく当たる先輩、説教くさい上司 などとの飲み会が、単純に楽しいだけのものではないことは知っている。

とは言え、一回の食事に何千円と使い、自分の好きなもの美味しいものを、自分のペースで食べられ、帰ったら家事・育児におわれることもなく寝るだけの幸せは、今の私にとても縁遠いものでもある。

 

単純に、羨ましくてたまらなく思う。

 

それ故、というべきか。子供抜きで、自分のペースで、他人が作った美味しいもの(たとえ居酒屋メニューであっても)を食べることができる「飲み会」を「仕事」と位置付けることには、私は疑問を感じてしまう。

 

 

夫が飲み会の日の楽しみ

けれども、皮肉なことに、夫が夕食時にいないことにメリットも同時に感じてしまう。それは夕食に手抜きが出来ること。そうして夫の夕食の準備をしなくても済むことだ。

 

私の夫は食事に関してあまりこだわりがない。少なくとも、本人はそう自認している。

しているけれど、現実はどうだろう。

好き嫌いはあるし、多少のこだわりもある。十分な品数と量のおかずを用意していても、物足りないと言われることもある。おまけに、本人は全く料理をせず、何かあると「じゃあ、買って来るね」となるので、手を抜くハードルは上がったり下がったりでなかなか安定しない。

 

一品料理でよいと夫は言っても、栄養面やボリュームを考えると、そう頻繁に登場させることもできない。おまけに、基本夫が休みの日は一品料理のため、一週間のバランスを考えると、なかなか難しい選択になる。

 

けれども、夫が飲み会の日は違う。

堂々と子供の好きな一品料理を出せるので、逆にちょっと嬉しかったりもする。

 

また、子供を寝かしつける前や後に、あわただしく夫の夕食の準備をすることもない。これも大きなポイントだ。

 

おまけに、子供達を寝かしつけた後ね落ちしなければお風呂にもう一度入れるという楽しみもあるのだ。(我が家は、夫のこだわりで、お風呂の残り湯が温かいうちに洗濯をし、そのまま夜中に洗濯物を干しているため、普段は二度風呂が難しい)

 

一度リズムを作ってしまえば、後は慣れだ。

ご飯をゆっくり味わえなくても、熱いお風呂につかれなくても、変な格好で寝かしつけて体を痛めても。そういうものだと思えば、夫が「仕事で」いないと思えば、苦にはならない。

 

 

ATMとして扱われる、ということ

一方で、デメリットも当然ある。

ただでさえ夫の帰宅は遅い。飲み会がなくとも、夫の帰宅時には子供たちがすでに夢の中・・・・・・というパターンも多い。平日が休日の時は、上の子が幼稚園に行っている間は、自分だけの自由時間だと思ってもいる。結果、下の娘と触れ合う時間は少なくなる。

 

卵が先なのか、鶏が先なのか。

下の娘は時折、露骨に夫を嫌う。眠い時、機嫌が悪い時は特にそうだ。

普段顔を合わせる時間が少ないから、夫を嫌うのか。

嫌われるから、休日に積極的に触れ合おうとしないのか。

理由はあってないようなものなのだろうけれども。

 

仕事がある日の朝はあわただしく、下の娘とゆっくり触れ合う時間はない。ご飯をあげることはしてくれるが、「ご飯をちゃんと食べるまで」きっちり面倒を見てくれるわけでは決してない。そうして、帰宅後は子供たちは布団の中。

おまけに、月に2,3日とは言え、確実に寝る前の子供たちと顔を合わせることがない日がある。

そんなせわしない毎日の中で、自称イクメンの夫を見ていると、本当に「積極的に子供たちとの時間を作る努力」をしているのか否か、時折わからなくなる時が、正直私にはある。

 

 

世間一般でもそうだ。

ネットの世界では、妻からATM扱いされることに過敏に反応する夫たちの声がしばし散見される。

けれども、そんな彼らは、飲み会への積極的参加を良しとし、趣味の時間を確保することの権利を主張する。休日の朝寝坊や昼寝も「仕方のないこと」で片付けようとする。

 

家族との時間を積極的に作る努力をしないくせ、「ATMとして扱われること」にはひどく反発する姿は、とても矛盾しているように私には思えるのだけれども。

 

これは私だけが持つ偏見なのだろうか。