どうして気ままに一人で美容院に行けないのか。
連日、
「主婦(夫)の一人時間の重要性」
「家事の大変さ」
「育児と家事の同時進行の難しさ」
についての記事が話題のブログ「主夫の日々」さんの以下のエントリーについて、「なぜ、夫に子供を任せられないのか」改めて考えてみた。
ちなみに、我が家では夫が理容室に行くときは、夫が思い立った時に夫一人だけで約3時間外出。(行きつけの理容室まで往復1時間以上かかるため)
私が美容院へ行くときは、夫の仕事が土日休み、かつ夫の母親が在宅である時のみ、子供たちを義理実家に預け1~2時間外出。
そのため、私の美容院は(私が、夫の母親に迷惑がかかるのを気にして)夫の理容室より頻度は低い。
我が家のパターンが出来上がった一番の理由。
それは、「夫がワンオペ育児をしたがらない」からだ。
もっと言えば、「ワンオペ育児をするためには条件がひつようである」からだ。
目次
ワンオペできない夫
私の夫は、自分一人で下の娘を見ることを嫌う傾向にある。
夫が休日かつ、上の娘が幼稚園の日、夫はほぼ100%午前中を自分の趣味のための一人時間に使う。 上の娘が幼稚園に行っている分、私の負担が少ないだろうという夫の配慮なのだろう。
実際は、魔の2歳児との留守番は、時に天国であり、時に地獄である。突然、何かにはまってけらけらと笑い転げたと思えば、わずかに目を離した隙に、派手ないたずらをやらかすのが彼女の日常である。
そんなせわしない毎日に対して、時に悪気なく「ゆっくりしててね」なんて場違いな言葉を残す。
魔の2歳児の実力をわかっていながら。
魔の2歳児の恐ろしさを知っているはずの夫
とても不思議なのだけれども、夫は下の娘のいたずらや本能赴くままの行動に、時に露骨にイライラした言動を見せる。
そんな夫を見ると、「ああはなっちゃいけないよね」という自戒の念が沸き上がる一方、「あぁ、私だけがイライラするわけじゃないんだな」という安堵の気持ちも浮かんでくるから不思議だ。
私が、夫に子供たちの愚痴のようなものをこぼせば、じっくり話を聞いてくれ、共感もしてくれる。
けれども、どうしてそんな気持ちは夫の言動には表れない。
下の娘に手を焼いている私を微笑ましそうに眺めながら、手は出さない。
「ママ大好きだって」で、おしまいにしてしまうからだ。
夫は、自分の仕事は妻の話を聞くことだ、と思っている。
そうして、「妻は母親だから、魔の2歳児の相手はできて当然」だと思っている。
裏を返せば「父親である自分は、できなくて当然」だとも思っている。
共感の言葉だけでは、私は足りない。
しばし、ネットの「妻にもっと家事・育児を手伝うように要求されて困っている」みたいな相談の場で、「何もしてくれなくてもいい。頻繁に労りの言葉と、感謝の言葉を伝えればよい」という女性からのアドバイスを頻繁に目にする。
もしかしたら、それで満足する人もいるのだろう。
本当に日々忙しく、物理的に体力的に難しいのであれば、それが正解なのだろう。
けれども、ネットの世界で多くの母親が「夫の家事・育児に対する不満」の声を上げているのを見るにつけ、言葉だけではない、行動が伴わなければ意味がないのではないか、と私はつくづく思ってしまう。
自称イクメンの夫のやる気
幾度となく触れているが、私の夫は、家事・育児にとても協力的だ。夫自身も、「自分は十分に家事・育児をしている」と思っており、普段の言動から察するに「これ以上、何をすればよいのか」とも思っているようだ。
私自身も心からありがたいと思っている。思っているけれども、本音を言えば、夫の家事・育児に私は満足していない。
それは、夫の家事・育児の優先順位が、「自分の心と体をメンテナンスする時間(食事・睡眠・入浴)」と、「自分の心を安定させるための一人時間」よりも、低いからだ。
もっと言えば、夫が私の「自分の心と体をメンテナンスする時間」と「自分の心を安定させるための一人時間」の確保ができていないことに、とことん鈍感だからだ。
いや、一人の人間として、それはとても正しい行動なのだろう。私自身、母親の自己犠牲前提の育児論には嫌悪感をはっきりと覚える。親の心身の健康ありきの、育児であるのだから。
けれども、母親である私の心と体の健康が保たれていないことに、気が付かない、もしくは気づいていながらも自ら行動を起こさない夫に、違和感を覚えずにはいられない自分がいる。
夫がワンオペ育児をするための条件
- 自分の心と体をメンテナンスする時間(食事・睡眠・入浴)の確保
- 自分の心を安定させるための一人時間」の確保
夫が快く、そうして積極的に一人で下の娘をみるとき、それはこの二つの条件が整っているときだ。
私の夫の場合、夫の家事・育児の協力を仰ぐには、この二つの条件を満たすことが一番の近道なのだ。
けれども、私がしてほしいと思っているときに、この二つの条件を常に満たすことはとても難しい。
「言われればやる」と夫は言うだろう。
けれども、実際は「自分がやりたいと思えばやる」「自分ができると思えばやる」なのだ。
残念なことに、夫はこの違いに気が付いていない。
いや、気が付いていてはいるのかもしれない。
気が付いているにもかかわらず、鈍感な振りをしているだけなのかもしれない。