定期的に「断捨離」したくなる不思議。
「断捨離」というと、大げさかもしれないけれども。
定期的に、私は「片付け」「書類や洋服の整理」「部屋の模様替え」がしたくなる。
それも、気分が落ち込んでいるとき、物事がうまくいかないとき、自分で自分が嫌になるときにだ。
「自分を変えたい」
「現状を変えたい」
と思う時に、手っ取り早く「断捨離」的な行動をしたくなるのだと思う。
子供の頃からのこの癖は、大人になった今でも、いまだ続いている。
目次
「断捨離は」は、家事なのか「自分がしたいこと」なのか
私にとっての「断捨離」は「家事」だ。
けれども、夫にとっての、私がする「断捨離」は「妻がしたくてしているこ」だ。
事実、多少の不便やストレスを感じながらも断捨離をしなくても、日々の生活は滞りなく回る。
そのせいか、夫は自分の意思では「断捨離」をしないし、その必要性を感じてもいない。
「断捨離」を妻がすることで、「断捨離」が妻の負担になり、イライラするぐらいならやることはないと思っているのだろう。
心の負担を減らすために、心理的物理的な負担が増えるという矛盾
私にとっての断捨離は、心理的にも物理的にも負担だ。
できていない状態で、夫や子供たちが不便やストレスを感じている場面に遭遇してしまうと、「できていない」ことにプレッシャーを一方的に感じてしまうからだ。
そうして、当然「断捨離」をすることで、「本当に自分がやりたいこと」が物理的にできなくなってしまうからだ。
「自分をリフレッシュさせるための時間」だけでなく「毎日必ずしなければいけない家事の時間」もタイトなものになってしまう。
断捨離に対する心理的ハードル
子供が小さく、まとまった時間をとれない。とれたとしても、自分のリフレッシュについつい使ってしまう。というのが、「断捨離」が続かないことへの私のいつもの言い訳だ。
もっと言えば、正しい断捨離を知らないというともあるだろう。
身近に正しい断捨離をする人を知らず、学んでこなかったというともあるだろう。
ルール作りが苦手なために、コロコロとマイルールが変わってしまい、やり方法則に一貫性がないのも大きい。
「断捨離」と「ダイエット」
私にとって、「断捨離」と「ダイエット」はどこか似ている。
それは、目指すべき目標が「イベント的」なお祭りなのではなく「日常的」なルーティンワークであることだ。
何気ない日常生活の一つ一つが、ストレスも我慢もなく「断捨離」や「ダイエット」に繋がっているという幸せ。
もっとも、「断捨離」には「ダイエット」より、イベント的な要素が強いのかもしれないけれども。
無駄のない機能的なキッチンやリビングで過ごす、ノンストレスな毎日を夢見ながら、今日も気まぐれに「断捨離」をするの私だ。