専業主婦の母親の「一人時間」のあり方、とは。
何度も話題にしているテーマである。
専業主婦の母親にとっての「一人時間」は、
当然の権利、なのだろうか??
それとも、周囲(主に夫)からの好意や協力によって成り立つもの、なのだろうか??
専業主婦の妻を持つ父親の「一人時間」は?
当然の権利なのだろうか??
それとも、周囲(主に妻)からの好意や協力によって成り立つもの、なのだろうか??
勿論、ケースバイケースで正しい答えなどはないのだけれども。
私個人の場合、ないからこそ存在する「暗黙の了解的価値観」についつい振り回されてしまい、自分で自分の首を絞めてしまっている。
先日見つけた相談サイトでの男性からの質問と、それに対する返信とこれポチボダン(相談に関する直感的な感想を、ワンクリックのボタンで表すためのもの。面白い、エールなどなど)を見て、改めてつらつらと考えてしまった。
夫の自由時間 : 男性から発信するトピ : 発言小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
詳しい相談内容はこうだ。
- 相談者は男性。
- 妻は専業主婦で、小学生1年生と3歳の子供がいる。
- 土日は公園に行ったり買い物に行ったりと家族で過ごしている。
- 1、2か月に一回年次休暇(おそらく有給)を取って、釣りを楽しんでいる。(深夜2時起き~夕方帰宅)
- 妻がこの外出を快く思っておらず、不機嫌になることが悩み。(家に帰るのが苦痛)
- 自分だけでは申し訳ないと思うことから、妻にも外出などを勧めはしたが、妻はその話に乗ってこない。
現時点で、質問者からは追加の返信はない。
そうして、これポチボタンでは、質問者を応援する「エール」ボタン数が最も多く、一方で返信欄は賛否分かれている様子だ。
目次
妻が専業主婦の父親の「一人時間」は、当然の権利である。
そうして、専業主婦の妻には、基本的には「一人の時間」は必要ない。仕事をしていないのだから、お金を稼いでいないのだから、当然だ。
このような価値観を持っている人は、存外多い。
この質問者自身も同様にの価値観を持っているようだ。
もっとも、件の相談者は表向きは否定するだろうけれども。
けれども、現実は行動に移せてはいないのだから、同じことだ。
一通りの家事を済ませたのちに、妻を家に残し子供たちと外出し、夕食前に帰宅して自分で夕食の準備をすればよいだけなのに、しないのだから。必要ないと思っていることと同じだ。有給消化しない(できない)部下に対して、注意も指導もせず見て見ぬ振りする上司のようなものだろう。
また、現実世界の中でも同様の価値観を持つ人は多い。私の両親、夫の両親がそうだ。
ママ友の中でも、親しくはないママ友達との建前多めの世界では、同様の価値観が前提となって会話が進むことは多い。
少なくとも、建前上、好き勝手外出する夫を表立って非難する人は少ない。
心の底から、それが正しいと思っている人は、当然いるだろう。
何を感じ何を信じるかは人それぞれだ。
本人が違和感を抱かず、ストレスも感じないのであれば、それでよいのだ。
けれども、中には「パートナーや周囲、そうして実体のないネット上の過激な発言からの無言の圧力」により、そう思わされている人も少なからずいるのでは、と個人的には思えてならない。
専業主婦の母親の「一人時間」のあり方
私の場合、権利であると思いたい気持ちと、周囲の好意と協力のもと成り立っているのだという気持ちとで、常に揺れている感じだ。
だからこそ、心の底からそれを楽しめない。
当然の権利だと自分も割り切り、周囲もそう断言してくれればよいのだけれども。
現実は違う。
「作ってあげた」
「作ってもらった」
という気持ちがお互いにあるがために、どうしても自分がへりくだった気持ちになってしまう。
専業主婦の私の「一人の時間」の現実
もっとも、私にも「一人の時間」がないわけではない。けれども、夫と違って極めて限定的だ。
- 夫が休みである
- 夫に予定がない
- 天気が晴れている(公園に行くため)
- 夫の母親が家にいる(夫の母親に子供たちを預けるため)
- 一通り最低限の家事が終わっている
これらの条件が複数重なった時、ある日突然突発的に我が家では私の「一人の時間」が作り出される。
我が家の場合、夫の一人時間が満たされないと私の一人時間は作られない。
優先順位が夫のそれよりも低いのだ。
そうして、その現実に不満という形でを発信と私の両親は私をたしなめる。
夫の両親は笑って「しょうがないわね」で終わらせる。
あまり親しくないママ友からは「旦那さんも疲れてるんだよ」とお茶を濁される。
唯一親しい友人だけが話を聞いてくれるが、いかんせん会う機会がない。
あぁ、だから私はこうしブログに、感情の赴くままに書いてしまうのだろうか。