正しい「助け」を求める方法って、何だろう。
千葉県野田市の小4少女虐待事件において、母親の虐待の関与についての詳細が、徐々に明らかになってきた。
私は、女で、母親で、異性からの暴力の被害者だった過去がある。なので、という理屈が世間一般に通用するか自信がないが、私はどうしてもこの母親に肩入れしたくなってくる。母親を100%の加害者としてみたくない、という個人的感情が私にはある。
もちろん、一番の被害者は死んでしまった心愛ちゃんだ。
父親だけでなく、母親からも、心ない仕打ちを受けていたのは事実なのだろう。
我が子に対して、「私も被害者なのだから」「私が暴力を振るわれるから」と言って父親からの暴力を見過ごしたり、生活に必要な世話と愛情を注がないことは、間違っている。
間違ってはいるけれども、だからと言って「母親が父親からの暴力を受け入れ我慢すればよい」わけでは決してない。
過去にも、パートナーからの暴力を恐れて、パートナーからの子供への暴力を時に見逃し、時に加勢してしまったがために、悲しい結果になってしまった事件は山ほどある。
母親個人の母性や、精神論だけで片付けていい問題では決してない。
では逃げればいいではなか、と多くの人は思うだろう。
けれども、その先にある「貧困」や「母子の暴力被害の心の傷」という問題を考えると、ただ「逃げただけ」では、母子の幸せにつながらない。
事件の詳細が報道されるたびに、数々の「逃げるチャンス」「助けてもらえるチャンス」があったことが明らかになっている。
けれども、多くの門家と呼べる人々の判断により「逃げること」も「助けてもらうこと」も結果かなわなかった。
「逃がす」「守る」対象とはみなされなかったという事実は、この母親から大きく「正しい判断の材料と機会」を奪っていたように、私には思えてならない。
暴力を受けていた時、私はよくこんな物騒なことを考えていた。
「あぁ、内臓でも破裂して、血でも吐かないかな」と。
暴力を受け、泣いているだけでは「助ける存在」として認めてもらえなかった。なのならば、「助ける存在」として認めてもらえるように「証拠としてのわかりやすい何か」を残したかったのだ。
「痛くて泣いていること」
「痛みでうずくまっていること」
はSOSにはならない。
けれども、当時の私にとってはそれは十分な「SOS」だった。
正しい「SOS」とは、誰に、どのタイミングで、どのような手段ですることなのだろうか??