日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

「叩く子育て」を人はなぜ選んでしまうのか。

誤解を生むタイトルだが、私自身は、子育てにおいて暴力は必要ないと思っている人間だ。

 

けれども、私の夫、父親、一部のママ友は、時には必要に応じて「体に痛みを与えること(=あくまで暴力ではない。手加減をして叩く、噛むなど)」はあってもいいと思っている。

 

もっとも、子供が小さいこともあるだろうが、彼ら・彼女らの基準によると、子供自身が命にかかわる危険を冒した場合(危険を体に覚えさせる)と、他人を傷つけた場合(痛みを知る)に限られはするのだけれども。

 

更新を楽しみしているサイトでとても興味深い記事を読んだ。千葉県野田市の小4少女虐待事件の流れの中で議論に上がった「子育てにおける、叩くという行為の是非について」の記事だ。

 

筆者の息子さんは発達障害を抱えている。過去の記事から想像することしかできないが、彼女の苦労は並大抵ではなかったのだろう。けれども、専門家からの指導を受けつつ、辛抱強く「叩かない子育て」を実践されている。

特になるほどなと思ったのは、後半のこの部分だ。

そもそも、の話ですが、自分が子供だったとして「叩かれて育てて欲しかった」と思う人はいるでしょうか。やみくもに叩かれるのではなく、親には面倒でも、丁寧に理由を説明してもらったり、自分の気持ちを汲んでもらったり、状況を変えてもらったり整えてもらったりして、とにかく、丁寧に対応してもらって、納得させてもらう事で、自分の悪い面を直したいとは思わないでしょうか。

「叩かない子育て」の実践編は後日別記事にて更新されるようだ。 更新が今から待ち遠しい。

 

 

私自身は、子供たちに手を挙げたことはまだない。

ないけれども、時に私には、感情にまかせて声を荒げたり、「無視」や「脅迫」的なきつい言い回しで、子供たちを追い詰めたり、恐怖を与えたりして、行動をコントロールしてしまおうとする傾向がある。

そういう意味では、認めたくはないが、私は子供たちに対して叩いた時と同じ恐怖を与えてしまっていることになる。

 

当然私はそんなやり方は、できればしたくない。

したくはないが、ついやってしまう。

 

なぜなら、私はそういう方法でしか、子供たちの好ましくない行動をコントロールできないからだ。

いやもっと言えば、感情的にならずに、子供たちの好ましくない行動をコントロールする方法を知らないからだ。

いや違う、感情的にならずに、子供たちの好ましくない行動をコントロールする方法を知識として知ってはいるけれども、実践しきれていないからだ。

 

  • 子供の行動を辛抱強く待つ。
  • 自分の感情をコントロールする。(アンガーマネジメントを実践する)
  • 子供が自分から好ましい行動をしたくなるような、仕組みを作る。
  • 常に肯定的な言葉がけをする。
  • 否定的な言葉がけを控える。
  • スキンシップを心掛ける。
  • 精神面でたっぷり甘えさせる。

 などなど。中途半端な本やネットでの拾い読みの知識ではあるが、方法はわかっているのだ。

 

けれども、いざ自分と自分の子供に当てはめてみようと思うと、どうしてもうまくできない。とっさに口をついて出てくる言葉に、感情に負けてしまう。

自分に負けてしまうのだ。

結果、育児書のように、好ましい展開にはならない。子供の言動にも、目覚ましい変化も見られない。

 

おそらく、辛抱強く長期的にやっていけば、私にも身につくものなのだろうけれども。

 

そもそも、その辛抱強さ。我慢強さ。が自分にはない。

けれども、本やネットで得られる知識はどれも、それらがあることが前提で話が進められることが多い。

 

 

もっと、身近に気軽に専門家に教えを請いたいな、とつくづく思う。面談だけでなく、日頃の私たちの生活の様子を逐一観察してもらって、もっと具体的なアドバイスが欲しいなとも思う。

 

私の身近にいるのは、育児の経験者ではあるが素人である両親と、自分と同様育児の未経験者である夫しかいない。

私と私の子供たちのリアルを知る人間は、そういう意味では皆素人だ。そんな彼らが、気まぐれにするアドバイスや手助けが与えてくれるのは安心だけでない。反発や戸惑いもどうしても伴う。 

 

時折、専門家や幼稚園の先生にもアドバイスをもらう。けれども、私の説明が至らないせいか、もらったアドバイスが有用なこともあればそうでないこともある。

おおざっぱで面倒くさがり屋の自分には、積極的に取り組みたくないなというアドバイスも正直ある。

 

「叩く子育て」は簡単だ、と件の記事の筆者は言う。

 

 

多くの人は、「叩かない子育て」の有用性を理解していないのだろう。と同時に、理解もしていないのだ。

いや、どんなに「叩かない子育て」の有用性が理解・周知されようとも、その子育てがイコール「皆が皆、容易に実践できる子育て」でなければ、意味はない。

 

自分に合った(自分に実践可能な)「叩かない子育て」。

子供に合った「叩かない子育て」でなければ。きっと。

 

 

思い返してみれば、私の母は良くも悪くも放任主義の人だった。

私が抱えていた日々の困りごとは、本人の問題であり、責任であるとして放置され続け、結果今に至る。

母に言わせれば、「私の子供たちは、皆多くを言わなくてもできた」だそうだ。

 

そんな彼女もまれにではあるが、感情的に声を荒げることがあった。それ故と言うべきか。自分の感情をコントロールする手段の一つとして、あえて子供たちと物理的に距離を取っていたのかもしれない。

  • 住まいは、地方都市の庭付き一軒家(部屋数多め)。
  • 父方祖母との同居。
  • 近所に幼馴染みあり。
  • 幼稚園の頃から親抜きで外遊びをする習慣もあり。

などの条件がそろっていたことも大きかったろう。

 

 

もしかしたら性格もあるのだろうか??

人はよく「考え方、見方、捉え方を変えるだけだよ」と言う。

でも私には、考え方、見方、捉え方を変えることがどうしてもうまくできない。

辛抱強くも、我慢強くもない。自分に甘く、面倒くさがりで、怠け者だ。

そもそもの根本的な性格を変えたほうが近道なのだろうか・・・・・・。