日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

ワンオペ育児と「家事・育児の裁量権」

東京に住む、下の娘と同い年の子供を持つ友人と話していると、時折ちょっと温度差を感じることがある。

その違いをうまく言葉にできなかったのだけれども、このエントリーを読んで「あぁ、こういうことだったのだな」と妙に納得してしまった。

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夫にある程度の収入があり、妻にも収入があるからこそ、便利グッズ、便利家電、便利サービスを駆使することができ。

夫が不在がちで、夫が家のこと口を出さないからこそ、妻が自分の価値基準とペースで家事・育児を進めることができる。

からこそ、「夫の家事育児がゼロでも、仲の良い夫婦でいられる」というエピソードの紹介である。

 

 

だからこそ、「夫の家事育児がゼロでも、仲の良い夫婦」が成り立つという話だ。

 

件の友人は、同郷出身のいわば幼馴染だ。仕事をしてはいないが、旦那さんの実家も遠方のため、ワンオペ育児で頑張っている。

旦那さんの仕事が朝早く、夜が遅い事もあって、平時の家事・育児の全てを彼女が切り盛りしている形だ。旦那さんの性格もあるのだろうが、基本手も出さない代わりに口出しもしないらしい。

彼女の長所は、意見をキッパリはっきり感情的にならずに主張できるとろだ。たとえ相手と意見が食い違っても、話し合いの元お互いが納得できる形で「落としどころ」をとことん追求することができる。

 

そんな彼女と話していると、彼女はしばし私の優柔不断な態度や言動が理解できず、その理由をとことん追求してくる。

 

なぜなら、彼女は私の「できない」が理解できないからだ。

それは能力的なことではない。

私に「家事・育児の裁量権がない」がために、「できない」「うまくことを運べない」ことが、理解できないのだ。

 

もっとも、彼女が全てにおいて「裁量権」を握っているわけではない。相手の主張が正しければ引くときは引くし、我慢するところは我慢する。けれども、「これだけは譲れない」という部分に関しては、夫と徹底的にやりあうという。その結果が、どっちに転んだとしても、議論しつくした結果であるため、彼女の中ではわだかまりや後悔は少ないという。(ゼロではないらしい。)

 

 

一方の私はどうだろう。

家事・育児において、経済的にも、物理的にも、私は「夫の許可」または「夫の同意」が基本必要だと思っている。

それは、自分が仕事をしておらず経済的に夫に頼っているからであり、夫と共に生活しているからでもある。

もしかしたら、自分の思い込み、両親や義理両親、周囲からの価値観の押し付けもあるのかもしれない。

もっと言えば、子供たちの意思や日頃の言動も大きく影響しているように思う。

どちらにせよ、現状の私は、財布や家事・育児決定権の全てを握っているわけではない。

 

私の夫は、食洗器や洗濯乾燥機、掃除ロボットの必要性を感じていない。

生協や、宅配食、食材宅配サービスにも、理解がない。

収納グッズを(自分基準で)必要以上に増やすことも、あまり好まない。

そうしてなにより私には夫を説得するスキルがない。

だからこそ、こうしてネットで自己分析をしているのだけれども。

 

 

なぜ、自分に「裁量権」がないのだろう。

なぜ、私は夫に「裁量権」を主張できないのだろう。

 

もし夫に子供にもっと強く「裁量権」を主張できたら、家事・育児に心理的肉体的負担感をもっと減らせることができるのだろうか??

 

良くも悪くも夫に家事・育児を「手伝って」もらっているがゆえに、夫が家事・育児に口を出すのだろうか。

いや、夫が家事・育児に手を出さずとも、子供や自分に不利益や不都合なことがあれば、今まで通りに、色々と口に出すのではないだろうか??

 

裁量権を主張できない一番の理由は、自己主張をはっきりできない自分の性格だ。

けれども、 そんな夫の姿が想像できることも、自分の中の言い訳としてあるように思う。

 

「亭主元気で留守がいい」と昔の人は言ったけれども。

本当に、昔の人は「手も出さないけれども口も出さなかった」のだろうか??