日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

「内助の功」って何だろう??

どうやら夫の仕事がまた一段と忙しくなるようだ。職責も増え、それに伴い残業も増えるらしい。

現状でも、夫の帰宅時間は十分に遅く、夫の帰宅時に上の娘が寝ていることが時折ある。

今後は、今以上に遅くなるというのだ。社内の移動が関係しているようで、さらなる資格を取得しなければならないらしく、ぶつぶつと嘆いていた。(資格取得のための勉強は必要はないらしく、現在の知識と技術があればとれるものらしいのだけれども)

昇給するのか、昇格するのかは、うまく濁されてしまった。

 

先日目にしたエントリーを思い出し、ちょっと考えてしまった。
夫の頑張りはあくまで夫のためのものだ。

いや、その頑張りの恩恵を私たち家族は受けているわけだから、その解釈・表現は間違っているのかもしれない。

夫が頑張れば頑張るほど、私たち家族の生活レベルや教育レベルも上がるのだから、歓迎すべきであり、応援すべきでもあるのだろう。

 

とは言え、もし万が一夫と離別・死別となったら・・・・・・

どんなに家事・育児にと家を守っていようとも、夫の社会的地位の恩恵は私には無関係の物になってしまう。

死別はともかくとして、夫は離婚後も同じ仕事をし続けるだろう。安定した収入は保証されているわけだ。

そんな当たり前のことが、妙に気になってしまった。

 

夫は家族のために働いているのかもしれない。もしかしたら、私たち家族がいなかったら、もっと別の働き方があったのかもしれない。

 

しれないけれども、私たち家族がいなくとも、今と同じ働き方をしている可能性もあるわけで。

 

例えばの話だけれども。

上記の記事のように、仕事が忙しくて子供と顔を合わせる回数が極端に減ってしまったとしたら。

離婚して、養育実績がなかったことから妻である私に子供の親権が渡ったとして。

月数回の面会をするのと、どこがどう違うのだろうか??

 

自分の世話を妻にしてもらえなくなるというデメリットはあるかもしれないけれども。例え養育費を払おうとも、自分が自由に使えるお金は確実に増えるわけで。

 

子供たちと会える回数が少なくなってしまうという、最大のデメリットはあるわけだが、そのデメリットは仕事の内容や働き方次第で、離婚関係なく起こりうるわけで。

 

先日、地元のいわゆる高級住宅街と呼ばれる地域を車で走っていたときのことだ。話の流れで夫がこんな疑問を呈した。

「どうして(既婚)女性は、夫の職業や社会的地位に乗っかって、お互いマウンティングをしあうんだろう。自分の実力ではないのに」

 

確かにそうなのかもしれないけれども。

 

子供がいないならまだしも、未就学児がいる家庭の場合はなおさら、夫がそれなりの地位で仕事に専念することが出来るのは、妻が働かずに家にいるか、もしくは働き方をセーブしているからだよね??

 

そんな反論が頭をよぎったのだけれども、車内の空気が悪くなりそうだったので、口にはしなかった。