日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

娘の友達にはイライラしない不思議。

同じ失敗をしても。

娘がやる失敗と、娘の友達がやる失敗では、なぜか私の事実の受け取り方、沸き起こる感情が違う。

 

娘の友達の失敗の場合。

大抵は、娘の友達の母親の目がある。いや母親の目がなくとも、娘の時にはない、いつもと違った緊張感がある。子供との距離感がある。

だから、感情的にならない。なれない。

むしろ、失敗したという事実への怒りや、失敗した結果生み出される惨状の後始末の心配よりも、子供の安全、傷の有無、洋服が汚れていないか、濡れていないか、精神的に不安定になっていないか、などの子ども自身の心身の心配が先に立つ。

 

けれども自分の娘相手だと、そうはいかない。

日頃の娘の姿を知っているからだろう。

娘の友達の場合、何度も繰返し注意した後の失敗ではない。普段接していないのだから当然と言えば当然だ。だから、「仕方がない」と素直に思える。

けれども自分の娘の場合は違う。さんざん注意し、過去に同じ失敗を犯した後の失敗である。だから、イラっとする。

 

失敗に限った話ばかりではない。

子供の癖、習慣、こだわり、口癖、性格などなど。常日頃、マンツーマンで接しているからこそ、余計気になるのだろうし、余計イライラするのだろう。

 

 

たまに会うからこそ、ちょっとしたことも「新鮮」に受け止められるのだろうか??

そうして、第三者の目があるからこそ、冷静に接することができるのだろうか??

何かあったら、第三者に謝罪しなければいけない、弁償しなければいけないという意識があるからこそ、優しくできるのだろうか??
先日読んだ記事を思い出す。

「苦労の怨霊」「苦労の連鎖」ではないのかもしれないけれども。娘達と一緒に生活し、苦楽を共にしているからこそ、自分が感じた「苦労」を無意識のうちに自分の娘に返してしまっているのだろうか??

とふと思った。