セクハラをしても、許される人々。許してしまう人々。
先日、夫の現在の上司であり、わたしの元上司である、Aさんと食事をする機会があった。互いの子供を交えての和やかな場で、終始笑いの絶えない楽しい時間を過ごすことができた。
実はAさんとは子供が生まれる前にも食事をしたことがある。その際はお酒も入っており、そのため当然子供の姿はない。夫の後輩でありAさんの部下夫婦も数組同席していた。
私がAさんの元部下だったこともあり、昔ばなしにも花が咲いたのだが、その際かなりきわどい私にとっての「セクハラ発言」が飛び交う展開になり、私は思わず閉口してしまった。
Aさんは人間的にとても魅力がある人だ。
仕事もできて話し上手。人望もあり、社内でも下の人間からは慕われ、上の人間からは可愛がられる。社外からの信頼もも厚く、お客さんからの人気もある。
そう彼は「人たらし」なのだ。
そんな彼は、お酒の席で私に対して、セックスを含む交際男性の詳細などの「プライベートな話題」を振るのが大好きだ。
おそらく、私の性格が良くも悪くも「いじり」やすかったことも、理由にあるのだろう。
どんな話題を負っても、場の空気を壊すような言葉を発することなく、ただただ笑っているのだ。Aさんが「喜んでいる」と勘違いしても、仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。
けれども不思議なことに、そんな際どい話題にもかかわらず「答えに窮しても許される空気」があるせいか、不思議と気まずい空気にはならない。
そんな笑いが絶えないお酒の席で、ついうっかり口を滑らせそうになる(口を滑らせてもよいかなと思わせる)場の雰囲気を作り出す術をAさんは持っていた。
とは言え、私はその手の話がとても苦手だ。
けれども性格上、そうして立場上(私は会社員時代も決して仕事のできる部下ではなかったこともあり)はっきりと「ノー」と言うことができなかった。
いつもニコニコ笑って適当に受け流すことしかできず、困って言葉を詰まらせる姿が逆に周囲の笑いを誘い、どつぼに嵌るのがいつもの展開だった。
夫の後輩夫婦も交えた飲み会の席でも、どんなプライベートな話題を振られようとも、私は笑ってごまかすことしか出来なかった。
そんなAさんとのお酒の場で、いつも不思議に思うことがある。
そういう話題になった時に限って、周囲の女性が「プライベートな話題」にとても寛容になるのだ。
Aさんの周りにいる女性(会社の上司、同僚、部下、部下の妻などなど)からも、Aさんや周囲の男性と一緒になって笑い「プライベートな話題」に乗っかって、根掘り葉掘り聞かれることも多かった。
そもそも、Aさんの周囲にいる女性はなぜか総じて「プライベートな話題」を語ることに比較的おおらかだった。
そんな場にいると、「不快に思っている自分」がひどく非常識に思えてくるから不思議だ。
不快に思うこと自体が「間違っているのかも??」と思えてくることもある。
先日Aさんがふとこんなニュアンスのことを漏らした。
「セクハラだの、パワハラだの、モラハラだの言っていたら、コミュニケーションなんて成り立たないよな」
Aさんや、Aさんの周囲の人間の様な人間にとって、セクハラやパワハラは、コミュニケーションの妨げでしかないのだろう。
セクハラ、パワハラを「いじり」や「笑い」に変えて、コミュニケーションをとっている人々は一定数存在する。
そんな人達を、肯定的に受け入れる人達も、一定数存在する。
彼らの言い分も、わからなくもない。
わからなくもないだけに、自分の気持ちに正直に生きることは難しいなぁと考えてしまう。