他人に厳しく、自分に甘く。
私は、自分を甘やかしてほしいがために、表面上は他人に甘い。
内心色々と思うところはあるが、面と向かって意見をしたり、抗議をしたりをしない。いや、できない。
もっとも、現実はそんなに甘くなく、他人に甘くすれば甘くするほど、自分へのあたりは逆に厳しくなるのだけれども。
一方、私の身近にいる人間(夫や両親)は、「他人に厳しく、自分に甘い」。
おそらく、本人たちは「他人に厳しく、自分にも厳しく」のつもりなのだろうけれども。
身近にいるからこそ、彼らの言動の矛盾を直接見聞きできるからこその、私なりの解釈だ。
理想は「他人甘く、自分に厳しく」なのだろう。
いや、もっと突き詰めて考えれば「他人に厳しく、自分にも厳しく」なのかもしれない。
相手の今後の成長や改善への期待を込めて、「他人に厳しく」を実践したほうがよい場合もある。
けれども一方で、「他人に厳しく」するだけでは人は成長もしないし改善もすることはない。
成長し改善するためには、知識と技術、周りのサポート、仕組み作りも必要だ。
もっとも、社会秩序の乱れを度外視して考えれば、心身の健康のために必要なのは「他人に甘く、自分にも甘く」、なのかもしれないけれども。
世の中の大多数の人間は、「他人に厳しく、自分に甘い」のではないだろうか。
だからこそ、そんな他人の言動の矛盾を日常的に当たり前にしているがゆえに、逆に自分も堂々と「他人に厳しく、自分に甘く」できるのかもしれない。
少なくとも、私は内心「自分のことを棚に上げて」と毒づくことができるからこそ、夫や両親からの耳の痛い正論を時に右から左へと受け流すことができる。
良くも悪くも。