日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

「パワハラ」の先にあるかもしれない「ひきこもり」

昨日、お昼のワイドショー番組「バイキング」で気になる話題を取り上げていた。パワハラの定義に関してだ。

 

厚生労働省が発表した「パワハラ6類型」について、番組MCのタレントやひな壇芸人、街頭インタビューでの一般市民の声など、様々な意見が飛び交っていた。

パワハラ6類型」の詳細については、以下のリンク先で動画等で細かな事例付きで詳細に説明されている。
国としては、「パワハラ6類型」をこのように定義しているようだ。

    1. 精神的な攻撃~脅迫、名誉棄損、侮辱、ひどい暴言
    2. 身体的な攻撃~暴行、傷害
    3. 過大な要求~業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害
    4. 過小な要求~業務上の合理性なく、能力や経験からかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと
    5. 人間関係からの切り離し~隔離、仲間外し、無視
    6. 個の侵害~私的なことに過度に立ち入ること

想像通りと言うべきか。

番組内では、MCやひな壇のタレント・芸人は勿論のこと、インタビュー内(市民の声として扱ってはいたが、番組側がコメントの傾向を意図して取捨選択している可能性はあるが)でも「納得がいかない」「これぐらい、普通にある・やっている」「これがパワハラでは、社内のコミュニケーションに支障が出る」などといった声が上がっていた。

 

一般的に、「パワハラ」と言われて思い浮かべるのは1,2番目の事例ではないだろうか??

 

とは言え、3番目以降の事例であったとしても、被害者の立場に立って考えてみれば、決してされて気持ちの良い行為ではないのは間違いない。

少なくとも、気持ちよく、積極的、前向きに仕事に取り組む気持ちにはなれないはずだ。

 

けれども、多くの人間が、これらの3番目以降の事例は「仕方がない」「やむなし」と思っている、あきらめているのだろう。

いやむしろ、「時と場合によっては、一社会人として当然の処置であり、対応である」と考えているのではないだろうか??

 

三者の目線で考えてみれば、

  • 能力が高ければ、過大な要求をされても仕方がない。むしろ能力を評価されて喜ばしい。
  • 能力が低ければ、過小な要求をされても仕方がない。サラリーマンとはそういうものだ。スキルアップの勉強は家でするべきだ。
  • そりが合わない相手、空気を読まない相手、能力が低い相手とあえて積極的に交流をする必要はない。会社は仕事をする場所なのだから、仕事に支障がなければ、飲み会等にあえて誘わなくてもよい。
  • 会話をするうえで、相手のプライベートをある程度知りたいと思うのは当然だ。

なのだろう。

 多くの人間にとって、時と場合によるものの「パワハラ」は普通のことなのかもしれない。

 

会社に限らずとも、

  • 能力が低い人
  • 空気の読めない人
  • チームワークを乱す人

に何らかの罰を課すのは、「当然の行為」だと思っているのではないだろうか。

 

 

今、川崎の事件、元農林水産省の事件で「ひきこもり」問題がクローズアップされている。

今、テレビに出ている専門家ではない人たちは、「引きこもり経験がない」もしくは「ひきこもり経験はあるが、のちに克服できた」人たちだ。

彼らは「能力がある」もしくは「強いメンタルを持っている」がゆえに、「ひきこもり」に対してどちらかと言うと批判的な意見を持ちやすい。

 

引きこもりのきっかけは、「退職」や「人間関係」だという。退職の理由の中にも人間関係は含まれるはずだ。

 

パワハラ」が「パワハラ」として認識されていない現代社会の中で、「自分の気持ちに正直にありたい」と行動を起こした結果かもしれない「ひきこもり」にに対して、批判的な意見が飛び交う現象は、何とも皮肉だな、不可思議だな、矛盾しているな、と私個人としては思えてならない。