「2歳児踏切事故」について。
22日午前、静岡県島田市のJR東海道線の踏切で、2歳の男の子が列車にはねられ、その後死亡するとても痛ましい事件が起こった。
地元での事故だったのもあり、月曜日の夕方の情報番組でちょっとした特集が組まれていた。
全国ネットのワイドショーであれば、一方的に母親だけを責め立てる論調で終始していたであろうと思われたコメンテーターたちの感想が、意外にも冷静で客観的だったのがとても印象的だった。
自分が子供の頃や、自分の子供が小さかった頃の体験談として、「親が一瞬目を離した隙に子供がいなくなる」エピソードも紹介されていたのも興味深かった。
また、注意喚起としての専門家による、2歳児の持つ力「昨日できなかったことが、今日できるようになる」の説明や、母親からの生の声「子供からずっと目を離さないでいることは現実問題難しい」の紹介も色々考えさせられた。
この事故で思い出したのは、前回の記事に登場した父方の叔母のセリフだ。似たような事故に関して、叔母は一方的に「母親が悪い!!」と断罪していた。
けれども同時に、約40年前の自分の失敗談として「3歳の末っ子を6歳上の長女に任せて公園へ送り出したが、帰宅の際には長女だけしかいなかった」トンデモエピソードを聞かされていた。
時代や、それぞれの子供の性格もあるのかもしれないけれども。
私の中では、「3歳の子供を小学生に預けて外出させるのは、絶対にあり得ない!!」が正直な感想だった。
けれども、他人に厳しく自分にも厳しいはずの当時の叔母にとっては、「ギリギリあり」だったのだろう。
この手の痛ましい事故のニュースを見聞きするたびにいつも思う。
どうして、その場にいた母親だけが責められるのだろうか、と。
どうして、家族間で、社会全体で、事故を減らしていく仕組み作りをしようとはならないのだろうか、と。
何を、どこからどこまで危険とみなすかは、人それぞれだ。
一人の大人が、物理的に24時間子供を監視することも不可能でもある。
母親も人間だ、「うっかり」鍵を閉め忘れたり、転寝してしまったりもするだろう。
どうして、何を根拠に周囲の人間(父親祖父母)は、「自分の妻は、娘は、嫁は日中一人で、完璧に子供を見守れるはずだ」と思っているのだろうか??
- 子供が外に出ないように、チャイルドロックをすべての窓、網戸に付けていたか??
- そもそも網戸は破れる心配があるから、必ず窓を閉め鍵をかけ、チャイルドロックをかけ、空調はエアコンでするように家族間徹底していたのか??
- 料理などの家事でどうしても子供から目を離さなさなければならない時、子供を安全に遊ばせる空間が確保されていたか??
などといった住環境の整備は母親だけの仕事であり、責任なのだろうか??と。
鍵が壊れた窓から泥棒が入ったとして。
鍵が壊れていること自体に危機感を持たない妻に向かって、鍵が壊れていた事実、妻がそれを放置し続けていた事実を知っていながら、何も行動を起こさなかった夫が「お前の責任だぞ!!」と責め立てる光景は、非常に滑稽ではないだろうか??
繰り返すが、何を、どこからどこまでを危険とみなすかは人それぞれだ。自分にとっての「あり」が他人にとっては「なし」であってもおかしくはない。
おまけにワンオペ育児中の「ヒヤリハット」はごくごく身近に無数に転がっている。感覚がマヒしてしまっている可能性も大いにある。
きっちり、こと細かく、毎度毎度安全対策ができる人間も世の中にはいるのだろう。
でも、それができない人間もいる。
少なくとも、私はできない。不可能だと思っている。
だから事故は起こるのだ。
できていない人間に「母親なんだからやりなさい」と説教して終わりでよいのだろうか??と、私個人は思えてならない。