家事には明確な正解がないから、分からなくなる。
私が毎日のルーティーンとしている掃除は「掃除機がけ」と「モップがけ」だ。
そのための準備として「床の空白部分をできるだけ確保するために、床にあるものを片付ける」があるが、そこに水回りは含まれていない。
ここ数年は「洗濯機の糸くずフィルター」と「風呂場の排水溝」、「キッチンの排水溝」を燃える日の前日に掃除する習慣がついたが、その他の掃除は「気が付いたら」の曖昧な基準でなんとなくやり過ごしている。
「気が付いたら」の曖昧な基準なため、目につきやすい場所は適度にきれいで、目につきにくい場所は適度に汚い状態が続いている我が家だ。
夢見る「きれいに片付いていて、掃除が隅々まで行き届き、無駄なものがなく、必要なものがいつでも素早く取り出せる家」では決してない。
とても気になるエントリーがあった。予想していた通りアドバイスとして、
- 家事代行サービスを利用する
- 曜日と掃除する場所を決めてルーティーン化する
等の案が出ていた。
私も掃除が苦手だ。
我が家はものすごく汚いわけではないが、きれいに片付いているわけでもない。
目立ったごみもないが、無駄なものがないわけでもない。
どこか雑然としている。
我が家としては、上記のエントリーにもある「曜日と掃除をする場所を決めてルーティーン化する」が現実的な解決策なのだろうな、とは思う。
けれども私はうまくこれができない。
色々自分なりに考えてはみた。
- ルーティーン化するタスクが多いと、対処しきれない。
- 曜日やを決めても日にちが空くと守れない。
- 曜日を決めてもすぐに忘れる。→紙に書いても、自分に何らかのペナルティを貸すなりしないと守れない。
- そのペナルティーすら守れない。
- そもそも掃除をする理由が「自分が不便だから」「自分が不快だから」などの、自分基準の動機ではないので、やる気が起きない。その必要性を感じない。
こうして文章にしてしまうと、やはり自分の「なまけ癖」「続かない性格」が災いしているのだろうな、と改めて思い知らされる。
なんだかんだ言っても、私自身も自分の両親と同じく、細かい場所の多少の汚れや散らかりは、そこまで気にならないのだ。
この手のネットの記事や、テレビの「片付け、掃除特集」を見るたびに、スイッチが入ってイベント的に普段しない片づけを始めたり、溜め込んだおしゃれ着洗いの洗濯をしたり、染みの付いた洋服を思いきって捨てたりするのだけれども。
あくまでイベントでしかないので中・長期的には続かず。
偶然にも、数日前実家で両親が掃除に関して揉めていたことを思い出す。
家にいる時間の長い夫に積極的に掃除をしてもらいたい母親と。
あくまで家事は妻の仕事だとの思いを捨てきれない父親と。
両親ともども、衛生観念が低く、床やテーブルにごみが放置されていても、テーブルに使用済みの食器が食後何時間もい放置されていても気にならない性格の二人だ。
一軒家で部屋数もそこそこあるため、掃除する場所も広い。
おまけに、二人とも、趣味に、仕事に、自治会活動にと忙しい。
掃除を含む家事への優先順位が必然的に低くなってしまうのもうなずける。
そんな中での、
「それでも、あまりにも家が汚い!!」が父親の言い分で、
「だったら、家のいる時間が長い、自分(父親)がすればいいじゃない!!」が母の言い分だった。
毎日「掃除機がけ」をする習慣すらなかった両親だ。
親戚や友人の来訪や、家庭訪問の前日や当日に、せっせと大掃除をする母親と、そんな母親を長らく黙認(積極的ではなかったにしろ、状況を改善するには至らなかった)してきた父親だ。
そんな両親を見て育った私に、「普通の家の掃除の頻度」がわからないのは、仕方がないのかな、とちょっと安心したのを思い出した。
とは言え、両親を見て安心して終わりでは済まない。
反面教師にするべきだろう。
やはり、曜日と掃除をする場所をルーティン化するためには、地道に備忘録として紙に書いて冷蔵庫なり壁なりに貼るのが、一番現実的なのだろうか??