日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

異性に抱く憧れと幻想。(続・男に生まれたかった)

以前書いた記事、

 

ponnsuke.hatenablog.com

 

を思い出すエントリーを見つけた。

togetter.com

 

男には女の「生きづらさ」を理解はできない。

と同時に、女には男の「生きづらさ」を理解はできない。

 

そもそも「生きづらさ」は単純に男と女では分けられない。「生きづらさ」はあくまで個人個人の問題だ。たとえ同性同士であっても、学歴が同じでも、境遇が似ていても、互いを100パーセント理解はできない。

いや、理解はできないが、あれやこれやと想像を膨らますことはできる。

けれどもそれはあくまで想像に過ぎない。

現実問題、私達は他人について異性同棲関係なく、「具体的に」「偏見や先入観を持たずに」想像を膨らませるしかない。

 

件のエントリーのコメント欄では、投稿者の想像力の乏しさ、貧しさが災いし、矛盾点を指摘されている。

主語を大きく 「女」としたため、投稿者が想定している「女としてのメリット」を享受できない一定層の人間からの声や(代弁者も含む)、メリットを受けつつもそのメリットを受けるために必要とされる努力を軽視している点を指摘する意見が目立つ。

特別女性の「外見(の美しさ)の維持」を軽んじる意見と、それに対する反論

 

 

「女」として男から優しくされ、優遇されるためには、何より重要視されるのは「外見」である。

見た目が悪ければ、各種書類選考で審査員の目に留まらず、男女の出会いの場でパートナー候補に挙がりもしない。

 

 

以前私は、女のメリットとして「経済的に自立する必要がない点」を、そしてデメリットとして「経済的に自立するのが難しい点」を中心に記事を書いた。

性犯罪やハラスメントにも触れたかったのだが、当時は上手くまとめられず、消化不良に終わってしまったのを思い出し、今回改めて記事を書きたくなった。

珍しくブックマークについたコメントにもずっと気になっていたので、いい機会だなとも思っている。

murishinai 不利益についてのところ、性犯罪やハラスメントの経験がこれだけ! みたいな書かれ方が入ってれば話題性がもっと増した感じのエントリになってたのかな、と思った。 

 

 

「短所は長所に言い換えられる」と人は言う。

とするならば「デメリットはメリットと言い換えられる」とも言えるだろう。

女のデメリットとして思いつくのは、

  1. 妊娠・出産がある。妊娠・出産・育児の間行動が制限される。
  2. 生理がある。それに伴う生理痛がある。
  3. 仕事の有無、収入の過多に関係なく、家事・育児の負担割合が高くなりがち。
  4. 経済的な自立が難しい。
  5. 性犯罪に遭遇する確率が高い。
  6. DVなどの暴力の犠牲になりやすい。
  7.  セクハラ、モラハラパワハラなどの被害に遭いやすい。(家庭や職場での男女のパワーバランスが男性に偏っているため)
  8. 「一社会人として」「性的対象として」求められるレベルの身だしなみを整えるのに、時間とお金がかかる。
  9. 一定レベルの容姿でないと、異性からも同性からも人として軽く扱われる。
  10. 容姿がすぐれていると、能力を評価されづらい。

などなどがある。

 

けれども改めて考えてみると、これらのデメリットはメリットにもなりうる。

上記のデメリットをメリットに置き換えるとこうだ。

  1. 妊娠、出産する最終決定権がある。
  2. 妊娠・出産を経験できる。(できない可能性もある)
  3. 養育実績が詰めるので、万が一離婚になった時親権を取りやすい。
  4. 経済的に自立できなくても、妊娠・出産できる。例え経済的に自立できないまま一生独身でも、社会的に許される。(老後の問題はさておいて)
  5. 性犯罪の加害者にならなくて済む。(実際にはなりうるのだろうけれども、事件として立証されにくい)
  6. DVなどの暴力の加害者になりにくい。(上記と同様の理由で)
  7. セクハラ、パラハラ、モラハラの加害者になりにくい。(上記と同じ理由で)
  8. 様々なファッションを楽しむことができる。選択の自由がある。他人に不快感を与えなくて済む。
  9. 見た目でなく、中身を見てくれる人に出会える。
  10. 容姿がすぐれていれば、能力がなくても評価の対象になれる。

 

 こうやって改めてメリットデメリット並べてみると、色々と考えてしまう。

容姿が重要視されがちな点は、個人的には全くメリットには感じないが、性犯罪や暴力、各種ハラスメントの加害者になりにくい(されにくい)点は、大きいように思う。

男女の性欲の差、絶対的な体力の差のおかげで、実際の数字も社会的な認知も女が被害者とされやすい。

加害者のすべてが社会的制裁を受けるわけではないが、一定数受けている人間のその後の人生を見聞きする限り、「加害者になりにくい」もある意味大きなメリットである。

 

もっとも、これらのメリットデメリットは本来「男女」で対立させるものではない。

個人個人の問題であるべきだ。 

女だからと言って、皆が皆容姿に優れているわけでも、妊娠・出産できるわけでも、家事・育児が得意なわけでもない。

男だからと言って、体力があるわけでも、稼ぐ力があるわけでも、リーダーシップがあるわけでもない。

 

けれども現実は、まだまだ「男として」「女として」の括りが強すぎる。 

求めるのは、「女の幸せ」でも「男の幸せ」でもない、「人の幸せ」であるべきではないだろうか??