日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

寝ている大人を起こす理由。

私は夫の母親にはなりたくない。

だから、寝坊した夫を起こすのも、ソファーで転寝している夫を起こすのも、積極的にはしたくない。

そもそも、私は「人を起こす」行為自体がとても苦手だ。

対大人に対しても、対子供に対しても、だ。

相手の意思に反して「無理やり起こしている」認識が自分の中にあるからだろう。

 

一方、趣味の外出のためには早朝(4時、5時代)に目覚ましで一発で目を覚ます夫だ。

ここ数か月、娘の登校日に仕事が休みだときっちり寝坊するようになった夫に対して、どうしても優しい気持ちになれない自分がいる。

 

最近は、仕事の日はしぶしぶだが無理やり起こし、休日は起こさないようにしている。

 

 

 

「人が意識していない物事を気付かせる」行為は、「寝ている人を起こす」行為にとても似ているな、と思うことがある。

前回の記事、

 

ponnsuke.hatenablog.com

 で、私はこんなことを書いた。

はっきりと言葉で、

「私はとても疲れている。黙って外出されて、とても怒っている。だから、残りの家事と子供の世話をお願い」

と言えればどんなに良かっただろう。夫が不機嫌になるのを覚悟で。喧嘩になることも恐れずに。

でも、私にはその勇気がなかった。ただ、イライラするしかなかったのだ。

 どうしては私は、あの時、はっきりと言葉で自分の気持ちを伝えられなかったのだろう、と今でも考えてしまう。

 

きっと私は、「自分には一人で外出する権利がある。仕事が休みの日は家事・育児をする必要がない」と考え、行動ている夫に対して、

「私は家事・育児が仕事で、今もその仕事を時間的にも能力的に可能だが、今はしたくないからあなたがやってください」

と伝えるのに、強い抵抗があるのだと思う。

 

私自身、自分が食事中でかつ、夫が食事を先に済ませ寛いでいるときは、「子供の相手をせず、食事に集中する権利が私にはある」と考え、子供たちの粗相(コップの中身をこぼす、茶碗を割るなど)の後始末をするのに腰が重くなる。

夫もきっと私と同じなのだ。

わかってはいるけれども、納得できない、したくない自分がいる。

 

 

 

娘達がまだ小さく、夜中何度も泣いて起きていた頃。

夫は、基本娘達の泣き声に反応しなかった。けれども、全く起きなかったわけではない。起きることもあるにはあったのだ。ただ、一瞬目が覚めても「自分にできることは何もない」「自分では泣き止ませることはできない」とすぐに目を閉じてしまっていた。

その時何度私は起こそうと思っただろう。

そうして、

「(泣き止ませることができるのは私だけかもしれない。私の方が泣き止ませるのが上手いのかもしれない)でも私も今は眠い。だからあなたが代わりに泣き止ませて」

と言おうと思っただろう。

でも、なぜだかその要求は、私にはとても意地悪に思えてしまって、どうしてもできなかった。

 

そんな数年前のリアルな心の葛藤がまざまざと蘇る。

 

自分がされて嫌なことはしない。

「やりたくないこと、やる必要がないことを相手を強制する」のは、自分はされたくない。

だから、できないのだろうか。

 

 

余談

前回の記事のブックマークのコメント欄に、温かい励ましの言葉や、共感の言葉、アドバイスをいただいた。ありがたい。