「旦那がいなくて楽」でいいのだろうか。
夫が月曜日から昨日の夜まで留守にしていた。
娘達には表向き「仕事」と言っているが、その実はただの旅行(名目は親睦会、らしい)だ。しかも行き先は海外。
下の娘は月曜日から幼稚園に通っている。上の娘は先月の木曜日から小学校も始まった。
初日は、バタバタしてしまったが、なんだかんだ言って、遅刻もなく、ご飯を食べさせ、身だしなみを整え、娘たち二人を無事送り出せた。忘れ物はあったが、事後ちゃんと気づき、フォロー(忘れ物を小学校に届けた)もできた。
夫の旅行の話をした際、私の母は私にこう言った。
「よかったじゃない、楽できて」
最近は忙しさと疲れを理由に、全くできていないが、もともとは家事もするし育児もする良き父親である夫だ。
超マイペースな上の娘と、お調子者でイヤイヤ期真っ盛り下の娘の登校、登園準備を夫のサポートなく、朝が苦手で打どりを取るのへたくそな私が、トラブルなく一人でやり遂げる自信が正直なかった。
夫の不在がとても不安だったのだ。
だから、私は母の言葉にしっくりこず、逆に反論したくなったほどだ。
けれども、ふたを開けてみればどうだろう。
全く順調とまではいかないものの、娘二人を遅刻させることなく、無事小学校と幼稚園に送り出せた。結果オーライではあるが。
逆に、夫がいないことで夫の世話をしなくて済み、家事の総量が減り、プレッシャーから解放され、心身ともに母の言葉通り私は「楽」だった。
- 夫の皿(ワンプレート皿、茶碗、汁椀、コップのたった4枚ではあるが)を、朝2回(前の晩と、朝食分)洗わなくて済む
- 夫の分の洗濯をしなくて済む
- 夫の分の朝食・夕食の準備をしなくて済む
- 夫の食の好みに合うおかずを考えなくて済む
- 朝食にパンやシリアルを食べられる(夫は、朝食にこれらを出すのをとても嫌っていた。栄養面を理由に)
たったこれだけのことだが、それが私の心を随分軽くしてくれた。
けれども、これは非常にまずいな、とちょっと考えてしまった。
私の中で、「夫が単なる"ATM"になってしまっているのでは」、と思ったからだ。
本当だったら、
- ○○君(夫)がいなくて大変だった!!
- ○○君がいないと寂しい!!
- 娘達が、パパがいないって寂しがってたよ!!
と言えたらよかったのだけれども。
悲しいかな、3泊4日の短期の不在だったせいか、今回「お金以外の夫のありがたみ」を実感するまでには至らなかった。
娘達はこの4日間パパのパの字も出ない日もあったほどだ。
それこそ、私が娘達に積極的に声掛けをして「パパの存在」をアピールすべきだったのかもしれないけれども。
私自身、夫の存在を忘れていたというか、特別バカンスで不在だったという事情も手伝って、その必要性を強く感じなかった。
「イライラするぐらいだったら、期待しない方が精神衛生上良い」と人は言う。
今回、不在がきっかけで、夫への「期待」がなくなるかな、と思ったがなかなか人は簡単には変われないらしい。
「する能力と時間があるけれどもしない人」が目の前にいると、同じ「やっていない、できていない状態」でも捉え方が違ってきてしまう。
やはり、無意識に何か期待している自分がいる。
きっと、期待の延長上に「夫として、父親として、家族の一員としての何か」があるからだろう。
とは言え、夫への「期待値」は確実に下がった。
それは結果、今の自分の心には良い影響ともたらしたかな、と個人的には思っている。