日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

夫の私物を捨てたい衝動に駆られる。

下の娘が先週の月曜日から幼稚園に通いだした。

毎日楽しそうに笑顔で先生に手を引かれて登園してくれている。手を振りながらしたっ足らずに「行ってきます」や「バイバイ」と返す姿は、何とも言えないかわいさだ。

 

さて、初日は午前中で帰って来た下の娘だが、次の日からは午後の2時まで幼稚園で頑張ってくれている。

「幼稚園で何して遊んだの??」

と聞くと、

「先生とご飯食べたの!!」「ご飯ぜーんぶ食べたよ!!」

としか答えない娘だが、楽しく過ごせているのは十分伝わってくる。嬉しい限りだ。

 

おかげで、自由時間が確保でき、毎日の家事に加え、今まで色々理由をつけ放置していた家事(部屋の片づけ、書類の整理とファイリング、箪笥や引き出しの整理整頓、不用品の処分等々)に取り掛かったり、水回りの掃除を念入りにしてみたり、こうしてブログを更新してみたりしている。

 

不思議なのだけれども、 部屋の片づけや、不用品の処分など、時折私はスイッチが入り、やりたくして仕方がなくなる。

家にいる時間が長く、家の中の様々な「不便」の影響を受けやすいからだろう。

今ちょうどそのタイミングらしく、あれこれしたい衝動に駆られて、逆に空回りしている感もあるのだけれども。 

 

 

 

さて、我が家は部屋数が少ない。

にもかかわらず、一室が現在物置と化している。

私の私物のタンスと洋服ラックが壁の二つの面をふさぎ、かつ従妹から定期的に送られてくるお下がりの洋服が入った段ボールが5箱。うずたかく積まれている。

プラス、夫の趣味道具が乱雑に床に広がっており、下の娘にはちょっぴり危険な場所だ。

 

私自身、物が多いなとの自覚があるため、時折時間を見つけては「断捨離」のまねごとをしている。

あくまでまねごとなので、物の総量が劇的に減ることはない。が、「まずな」いという自覚と危機感があり、行動はしている。

 

一方、夫はこの件に関して何もしない。

休日は、リフレッシュのための趣味の外出が一番の優先事項である。

それ以外では、ソファーで寝ているか、スマホを弄っているか、子供と出掛けるか。

率先して、家の「不便」を改善しようとは決してしない。

けれども、気が向いたときにする家事の最中に文句は言う。

「○○するのに邪魔だ」

「××が入らない」

「○○が一杯で、引き出しが、扉が上手く閉まらない」

等など。

けれども、具体的なアドバイスや提案はあまりしない。しても、自分で行動は起こさない。基本口だけだ。

 

 以前私は、こんな記事を書いた。

ponnsuke.hatenablog.com

 この記事に登場する叔母は、高齢の自分の母親(私の祖母)の様子を見に、年に数回実家に滞在している。そうしてその度に、「物を捨て」「物を買い足し」「物を移動して」いく。

けれども悲しいかな、叔母が帰った数日後には元の乱雑な状態に戻ってしまう。

きれいだったキッチンも、カウンターも、リビングのテーブルも。

 

思うに、叔母には一時的に、独断で片付ける能力はある。

けれども、人(この場合両親)に合った「片付けのルール」や「片付ける仕組み」を作るセンスがないのだ。

また、人をその気にさせる言葉がけのセンスもない。

 

そのため、人にとって、非合理的で、理にかなっておらず、煩雑で、複雑な「片付けのルール」「片付けの仕組み」を押し付ける形になる。

だから両親は、そのルールを守れない。

だから両親は、叔母が勝手に物を捨て、物を買い足し、物を移動すると思い込んでいるのだ。

 

叔母には叔母の理由があり、ルールがある。けれども、その理由なりルールが両親に伝わっていない。理解されていない。

だから、「勝手に」捨てたと認識されてしまうのだ。

 

 

きっと私も叔母と同じなのだな、と最近やっと受け入れられるようになった。

私には、人に合わせた「片付けのルール」や「片付けの仕組み」を作るセンスがないのだ。

作った「ルール」や「仕組み」を人にわかりやすく根気強く伝えるのも苦手だ。

おまけに、人をその気にさせることと場を選ぶセンスもない。声をかけるタイミングをつかむのも、恐ろしくへたくそだ、と。

 

だから仕方がない、では済まないのだろうけれども。

どんなに本やネットで勉強しても、家族に合った「ルール」や「仕組み」を作るのが、私にはとても難しい。

作った「ルール」や「仕組み」を根気強く、そうしてわかりやすく家族に伝え続けるのが、私にはとても苦手だ。

 

だから、私はいつも一人でイライラしながら片づけをしているのだ。

だから、夫の私物も、子供の私物も、勝手に捨てたい衝動に駆られるのだ。

 

やはり、これは試行錯誤し続けるしか道はないのだろうか??

 

 

余談

夫自身にも、私をその気にさせる言葉選びのセンスもなければ、「ルール」や「仕組み」を作るセンスもない、とも言えないのないのだけれども。