夫の長時間労働を考える。
パートナーの長時間労働は、誰にとってメリットであり、デメリットなのだろうか??
夫の仕事が今とても忙しい。
この忙しさが「今」に限ってなのか、「今後も続く」のか夫にもわかっていない。だから私にもからない。
ただ、会社の都合で「旅行」や「飲み会」「仕事始め」「仕事終わり」を理由に、仕事量を調整はできるようで、毎日遅いわけではない。
夫の長時間労働を、「大変だな」と思う一方で、どこか冷めた目で見る自分がいる。
それは、夫の場合、長時間労働が収入アップにつながっておらず、かつ今までしていた家事をしなくなり、それでいて休日のリフレッシュのための外出が増えた(しかも当然の権利とはばかりに、遠慮がなくなった)からだ。
長時間労働が続くことで、心と体のリフレッシュを理由に、夫の仕事が休みで、かつ娘達の登校・登園日に早朝(娘達の登校・登園前)から外出する日が増えた。
夫長時間労働が続けば続くほど、私の家事・育児の比重は当然重くなる。
私は専業主婦であるので、この点に文句を言うのはお門違いなのかもしれない。
ただ、これから働きたいと思っている私には、このまま(夫が家事・育児にノータッチ)でいいのかな、との疑問が頭にある。
現状の夫は家事・育児は二の次で、仕事と自分の心と体のメンテナンスでいっぱいいっぱいだ。
故に、どんなに私が夫の長時間労働に対し、周囲の人間に愚痴や不満を漏らしても、逆にいさめられ、夫が同情される。
私も会社員を経験している。
私には、会社員時代、残業=能力が低いとみなされ、私がどんなに「残業せざる得ない理由」をあげ、現状を訴えても、理解してもらえなかった苦い経験がある。
自分が苦しんでいたのだから、夫の苦しみにも理解を示すべきなのかもしれない。
けれども、受け入れられなかった過去があるばかりに、どうしてか優しくなれない自分がいたりもする。
きっと夫に私は嫉妬しているのだ。
有能な人間の、キャリアや実績を作るための長時間労働は評価される。
一方で、無能な人間の、ノルマをこなすだけの長時間労働は評価されない。
その事実を再確認させられるからこそ、私は夫の長時間労働を快く思えないのかもしれない。
夫の長時間労働は夫の会社員としてのキャリアにある意味プラスになっている。
けれども夫はその事実に気が付いていない。いや、気が付いているのかも知れないが、その事実を重要視していない。
ただ長時間働かされている現実を嘆くだけだ。
そんな夫の姿は、私にはひどくもどかしく映る。
世の中には、長時間労働をする人は、家族のために働いていると主張する人もいる。だから、長時間労働をする人を労わらなければならない、と主張する人もいる。
ただ、夫に限って言えば結婚、妊娠、出産他のために、職場も、職種も、働き方も変えていない。
そういう意味では、夫は「家族のために働いている」とも言えるし、「自分のために働いている(独身時代と同じ働き方をしている)」とも言える。
また、世の中には夫の長時間労働によって収入アップや経済的な安定などのメリットが受けられると考える人がいる。
けれども、それは夫婦が夫婦でいる限りの話で、離婚になったら話は別だ。夫がどんなに高収入でも、養育費はたかが知れているし、減額や停止のリスクもついて回る。
どんなに「内助の功」を発揮しても、離婚や死別をしてしまったら、その努力は評価の対象にはならない。
夫の長時間労働のメリットって何なんだろう、と「妻の家事時間夫の7倍”名もなき家事”9割妻」の記事とコメント欄を読んで、改めて色々と考えてしまった。