日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

「日本代表の見た目がどう見ても外国人」を読んで。

ラグビーワールドカップが開幕した。

 

もっとも、私はスポーツに対して興味関心が薄いので、

「テレビをつけたら、試合生中継していてびっくりした」

程度の感覚しかない。

 

ただ、日本代表の選手の顔ぶれについての違和感に関するエントリーを読んで、以前から疑問を抱いていたこともあり、ちょっと色々考えてしまった。
anond.hatelabo.jp

 

非難覚悟で言えば、私は、スポーツにおいてハーフや元外国籍の外国人、が日本代表として、日本人として扱われることに違和感を感じる側の人間だ。

もっと言えば、日本で生まれ育っているか否かも、日本人とみなせるか否かに大きな影響を与えている。

 

理由は、スポーツにおいて、ある特定の人種が活躍しやすい種目がある現実の中(身体的特徴、練習環境等の影響により)、日本人である事実が不利である種目において、

「日本人(日本人的身体的な特徴を持っち、かつ日本の環境や学校教育の元で練習してきた人)が頑張っている姿が見たい」

との思いがあるからだ。

 

例えば、

  • 水泳選手には黒人はいない。
  • スケート選手にも黒人は少ない。
  • ラソンや短距離はアフリカ系の黒人選手が強い。
  • 柔道やレスリングは日本人が強い。

などなど、学術的には証明されていないらしいが、オリンピックや世界陸上などの世界大会を見ればその傾向は取ってみることができる。

 

故に、日本人離れした高身長のハーフの選手が活躍する姿を見ても、私は興奮しないし面白味を感じない。

 

もしかしたら、この先背が低く手足の短いハーフの選手や元外国籍の選手が、日本人には世界を狙うのが難しいと思われている種目で活躍する姿を目にする機会があれば、この違和感は払拭されるのかもしれないけれども。

現実は、日本人離れした体格の持ち主のハーフや元外国籍の選手が活躍ばかりが目立つ。

 

例えるならば、

バレーやバスケットなどの高身長であることが有利な種目で、背の小さな選手を応援したくなるような。

甲子園で、スポーツ推薦で全国から越境入学してくる学生ばかりが集まったエリート私立高校の勝利よりも、地元の公立進学校の勝利のほうが面白味を感じるような。

元オリンピック選手を両親に持ち小さな頃から英才教育を受けてきたエリート選手の活躍よりも、サラリーマンと専業主婦の家庭に生まれ学校の部活でそのスポーツをはじめ才能を開花した天才の活躍に興奮するような。

そんな感覚の延長上に、「日本人らしい日本人の活躍を好ましいと思う気持ち」があるのだと、私は思う。

 「下剋上」的な興奮を味わいたいのだ。

 

この問題は、「日本人であるか否か」ではなく「日本人的身体的特徴を持ち、かつ日本の学校教育等で練習してきたか否か」に重点を置きたい気持ちが根本にあることが問題なのではないだろうか、と個人的には思っている。