日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

世間が完璧な被害者を求めるから、被害者はSOSを出せない。

今月17日、東京都目黒区の虐待事件において、母親に懲役8年(求刑11年)の判決が出た。

 

 ネットやテレビでは、相変わらず母親に対する厳しいコメントばかりが目立つ。

中には専門家による、夫からのDVに焦点を当てた記事(母親に同情的)もあるにはあるが、そこに集まるのもまた非難めいた意見だ。

有名タレントが発する、母親に対する過激なコメントがネットニュースになったりもしている。

 

 

そこにあるのは、「母親が完璧な被害者でないから」との理由で、母親の非や粗を探し大きな声を上げる「普通の人」の姿だ。

 

 

けれども、と思う。

この現状を見て、専門家やタレントの声を聴いて、世間の空気を肌で感じて、一体どれだけの今現在配偶者のDVやモラハラ等に悩んでいる人々が、「そうか!!助けを求めればいいんだ」と勇気づけられるだろうか??と。

 

夫からの数々のDV被害の詳細が明るみになった今もなお一つの世論として、

「その程度のDVで洗脳されるなんておかしい」

「言い返さず、言いなりになるなんて、どうかしてる」

「母親が体を張って我が子を守らないなんて、信じられない!!」

等と言った声ばかりが目立つ中、はたしてこれらの世間の声、反応は今現在DVやモラハラなどに苦しんでいる人間の、勇気となりえるだろうか??と。

 

 

おそらく、今現在、DV被害やモラハラの被害にあっている、たくさんの人々はこう思うのではないだろうか。

「あぁ、もっと不幸な、可愛そうな人がいるのだから、もっと我慢しないと」

「自分にも彼女と同じように離婚に向けてすぐに行動できなかったのだから、きっと今更行動を起こしても非難される」

「彼女に比べたら、大した被害にあっていないのだから、もしかしたら取り合ってもらえないかもしれない」

「自分にも非があるのだから、きっと助けてもらえない。言い返せない、自分が悪いのだ」

 

少なくとも、私が子供の頃いじめにあっていた時、会社員時代人間関係に悩んでいた時は、そんな思い込みに囚われてしまい、すぐに逃げる、助けを求めるなどの行動を私は取れなかった。

 

 なぜか。

それは、私が両親や友人、教師、職場の上司、同僚などとの周囲の人間関係から、ある種の哲学を学んでいるからだ。

「完璧な被害者でなければ、助けてはもらえない」と。

食欲があり、睡眠がとれていて、趣味があり、やりたいことがある人間は、追い詰められた、「助けるべき人」「助けたい人」と人は判断しない。

 

また、被害者が、頑張って、愚痴り、悩みを打ち明けたとしても、帰って来るのは、優しい言葉だけではない。

しかも、被害者が勇気を振り絞って助けを求めても、必ず助けてもらえる保証もない。

 

だから、SOSを出さないのだ。

けれども、「普通の人」にはこの理屈が理解できない。

だから、感情的にみな非難するのだ。いや、非難するしかできないのだ。

 

 

もっとも優しくない、耳障りの良くない、厳しい言葉の中にも、きっと愛はある。

あるけれども、心身が疲弊している人間には、そんな愛のある厳しい言葉は、なかなか届かない。

ただただ、傷つけられたと思うだけで、その先に繋がらない。その厳しい言葉を聞きたくないから、怖いから、ますますSOSを出しづらくなる。

 

甘えだ、と言われればそれまでなのだろうけれども。

そういう人間だから、DVやモラハラなどの被害に遭いやすいののだから、仕方がない。