母親に間違えらる話。
下の娘が通う幼稚園は集団登園だ。集合場所で引率の先生が子供たちを拾っていく形をとっている。
最近は、子供たちを見送った後、集合場所で一緒になる先輩ママと、時間がある時だけちょっとした立ち話をするのが、私の楽しみの一つになっている。
さて、そこでよくすれ違いになるのが、A君だ。
おそらく知的障害があるのだろうけれども、詳しい障害名はよく知らない。というか、知る機会もなければ、聞こうと思ったこともない。
A「君」と言っても、もういい歳をしたおじさんだ。詳しい年齢は知らないが、おそらく私の3つ4つ年下なのだと思う。
今でこそ、言葉は悪いが明らかに風貌や言動がちょっと「あれっ??もしかして・・・・・・」と思えるのだけれども、子供の頃の彼は、私にとってごくごく普通の年下の男の子にだった。
彼は、私の子供の頃からの知り合いだ。特別仲の良かった馴染みの従妹、という微妙な関係ではあったけれども、小学校の中学年ぐらいまでは夏休みなどの長期休暇で遊びに来ていた時には、一緒に遊んだ仲だ。10年ぐらい前に、幼馴染が暮らしていた家が空き家になり引っ越してきたらしい。気が付いたら、よく道端で見かけるようになった。
後に、別の幼馴染の友人にこの話題を振ると「私も知らなかった。年下だったし、男の子だったから、お互い気にならなかったんだね」とのことだった。
どうやら私だけが鈍感なのではなかったらしい。
このA君。
私に気が付いたときに私の名前を呼んで挨拶をしてくれるのだけれども、ショックなのは時折私を私の母親と間違えるのだ。
「ポン助ちゃんおはよう!!」バージョンと。
「ポン助ちゃんのお母さんおはよう!!」のバージョンの2パターンあるのだ。
母親に間違われた時には、やんわりと訂正するのだけれども、その度に一旦立ち止まって考え込み、「あれっ??おかしいなぁ」と言う顔するから面白い。
どうやら、A君の中で、私は一緒に遊んだ子供のままのようだ。日頃会えば、私の方から声をかけたりもするので、記憶は更新されているようなのだけれども、どうも忘れてしまうらしい。
70を超えた母親と見間違えられるのは非常に面白くないのだけれども、接点がなかったように思える私の母親を覚えているのに、ちょっと驚いてしまった。ただ単に、大人になった私=私の母親という認識だけかもしれないけれども。
A君に、私が母親と間違えられるたびに、先輩ママが一緒になって笑ってくれる。そうして、一緒になって挨拶をA君に返してくれる。
A君の話題が自然に出る先輩ママに偏見や差別の色はない。
障碍者が地域に溶け込んで生活するのは、ケースバイケースで難しい場合もあるのかもしれないけれども。
こうしてあいさつを交わし合う、何気ない日常って大事だなぁと、ちょっと思っている今日この頃の私だ。
こんな優しい日常をA君も送っていけることを願って。