教師間のいじめ再考
教師間のいじめの詳細が明らかになり、被害教員の手記が発表され、今度は加害教員の謝罪文が発表された。
これはもはや「いじめ」ではなく「犯罪」である、というのが素直な感想だ。
加害教員の謝罪より、被害教員の手記の発表が早かったのも驚きだが、加害教員はいまだ被害教員に直接謝罪をしていない様子なのにも驚かされる。
謝罪文も四者四様で、
- 「ご家族への謝罪」を優先する者
- 「もし、許されるのであれば」との前置きをしたうえで、謝罪したいとする者
- 「彼が苦しんでいる姿を見ることは、かわいがってきただけに本当につらいです」といまだ自分が加害者である事実を自覚していない者
と様々だが、その文体は一様にどこか他人事めいていて、いかにも「他人」に見せるために体裁を整えて頑張って書いた文章との印象を私は受けた。
さて、いじめ行為の詳細が一部報道されたが、これらをざっと見て感じたことがある。
【いじめ行為50項目(一部)】
- 平手打ちをされた
- 蹴られた
- 首を絞められて呼吸困難になった
- 関節技をかけられ「痛い痛い」と言ってもやめてくれなかった
- 熱湯の入ったやかんを顔につけられた
- コピー用紙の芯でおしりをたたかれた
- ビール瓶を口に突っ込まれて無理やり飲まされたうえ、飲み終えた瓶で頭をたたかれた
- 後ろから羽交い締めにされ、激辛カレーを食べさせられたほか、激辛カレーを目にこすりつけられた
- さらに、激辛ラーメンを汁まで全部飲まされ、その場にいた教員らは苦しむ姿を見て大笑いしていた
- かばんに氷を入れられ、中身がびしょ濡れになることが数十回に及んだ
- 児童に配付するためのプリントに水を垂らされたり、指導案に落書きされたりした
(NHK 兵庫 NEWS WEBhttps://www3.nhk.or.jp/lnews/kobe/20191011/2020005126.htmlより、箇条書きになるように表記を一部改訂)
これらの行為を芸人がやったらどうだろう??
これらはありがちな笑いを取る手法であり、これらを芸人同士が面白おかしくやるのであれば、「面白い」「楽しい」と手を叩いて、お腹を抱えて、指をさして笑う人は一定数いるのではないだろうか??
もっとも、芸人の場合は、お互いプロ意識を持っており、キャラが支払われていて、お互い納得づくで(やられる側はそうではないかもしれないけれども、それを「美味しい」とする文化は確実に芸人の世界には存在する)あるからこそ、成り立つのだけれども。
人が嫌がる姿を、「面白い」と思う人が一定数いて。
テレビの世界でも、教室の中でも人が嫌がることをする人に、人気や権力が集まる現実があって。
人気のある人、権力のある人から弄られるのを「美味しい」と思う人も一定数いて。
先にも触れたが、一番の非難を浴びている、40代女性の加害教員の謝罪文の中にある「彼が苦しんでいる姿を見ることは、かわいがってきただけに本当につらいです」の一文には、激辛カレーを嫌がる被害教員の姿は「苦しんでいる」とは認識できなかったとの本音が、この謝罪文の中でも見え隠れしている。
こんなあからさまな嫌がらせが、同じ学校、職員室内で横行している状況の中、他の同僚たちも「気が付かなかった」は通用しないだろう。
これは、加害教員だけの問題では決してないのだ。
現実の、すぐ身近にある(あった)(あったかもしれない)「いじめ」に目をそらし続けてきた人間が、当事者が教師であるだけで、赤の他人のいじめになぜここまで感情的になるのか、正直私には不思議で仕方がない。
私の同級生の中にも、教師や警察官が何人かいる。
はたして彼らは子供時代、身近にあったはずの「いじめ」をどう見ていたのだろうか??
彼らの人生の中で、かつてのクラスメイト達が起こした「いじめ」はどう彼らの仕事に生かされているのだろうか??
疑問に思うことがある。
子供時代を振り返ってみると、彼らは決して「いじめ」に積極的に加担はしていなかった。けれども、積極的に助けたり、咎めたり、間に入って仲裁したり、先生に助けを求めることもなかったように思う。
そんなかつての「傍観者」たちが、職員室での「傍観者」たちをこき下ろす姿は、妙に滑稽に私には映ってならない。