日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

「躾ができない」という悩みは理解されない。

 躾ができていない子供の親には二つのパターンがある。

一つは、育児において躾に重きを置いていないがために、あえて躾をしない親。

もう一つは、育児において躾に重きを置いているが、躾ができていない親。

前者の場合、親自身もまたモラルに欠けており、善悪の判断自体がきちんとできていない親が多い。ゆえに、子供が何か問題を起こした場合、親は非を認めず謝罪もしない。

後者の場合、親自身にはある程度のモラルは備わっているものの、躾のスキルがない、もしくは方法を知らないがゆえに、間違ったアプローチで躾をしている親が多い。ゆえに、子供が何か問題を起こしてた場合、親はきちんと非を認め謝罪もする。

 

 

先程、耳の痛いエントリーを見つけた。

きっと、ここで問題視されているのは前者の親だろう。とは言え、はたから見れば、後者の親も「躾ができていない」という点では一緒だ。場面を一部だけ切り取れば、同じ「躾ができていない子供を放置している親」なのだろう。

 

この話題に関して、私自身とても身につまされる思いでいる。

下の娘が幼稚園に行く前は、日々スーパーで大声を出しながら追いかけっこをしていた私だ。私の叫び声を聞いて、私の来店に気付いたという友人の話は、今思い返しても顔から火が出るほど恥ずかしく思う。

 

三歳になる下の娘が幼稚園に通い始めてもうすぐ二ケ月弱。

多動気味、というか、落ち着きのない下の娘との買い物がちょっとしたストレスだった私にとっては、平日の限られた時間ではあるものの、確実に一人で買い物ができるのは非常に貴重で有難い。

とは言え、連休中の食材調達や、消費の早い食材(我が家の場合は牛乳や納豆)の購入は、冷蔵庫容量の関係上都度娘達を連れて買いに行かなければならず、件のエントリーはまだまだ私にとって他人事ではない。

 

 

とは言え、事実躾ができていないのだから仕方がない。

現実問題、私の両親(特別父親)からは、落ち着きのない下の娘を前に

「ちゃんと躾をしろ!!」

と時折叱られる。

「自分が言ったらちゃんと大人しくなったぞ」とも。

けれども、当の父親に

「どうやって躾をすればいいの??」と返すと

「もっと厳しく!!」

「毅然とした態度で!!」としか答えない。

挙句の果てに「舐められるような態度をとるお前が悪い」と私の人格を否定する始末だ。

その一方で、私の母は「ポン助たちが子供の頃は、こんなにひどくはなかった」と言ったり「子供なんてこんなもんだよ」と言ったりと、とひどく矛盾した発言を繰り返す。

 

なんだかんだ言って、私がどんなに精いっぱい「厳しさ」と「毅然とした態度」で娘達に接していても、形となって娘の言動に結果に表れず、評価に繋がらないのが今の私の現状だ。

 

今の私ができることは、

  • できるだけ子供を連れて買い物に行かない。
  • 買い物に行かざる得ない時は、事前に子供と約束をする。
  • 娘達から目を離さない。
  • 娘達が商品に触ったら(触ろうとしたら)都度注意する。
  • 万が一店の商品を破損してしまった場合は、すぐさま定員さんに報告をし、謝罪をし、弁償を申し出る。

ぐらいしかできない。

 

 

躾に関して、書籍やネットなどで情報は得られる。

幼稚園の先生や先輩ママからも、具体的な経験談や実践的な方法を教えてもらえる。

けれども、現実はそれらを毎回実践できなかったり、自分や自分の娘達には当てはまらなかったりで、結果に繋がっていない。

 

私の場合は、

  • ルールと決め、それを守る。(終始一貫した言動をとる)
  • どんなに子供が泣いても、駄々をこねても、心を動じさせず主張を変えない。
  • 感情を込めず、怒鳴り散らさない。
  • 理由をわかりやすく、理路整然と話す。

がどうしても毎回できない。

 

もっとも、はたから見たら、「気持ちの問題」「やる気の問題」「やるかやらないかの問題」でしかないのだろう。

正直私もそう思っている。

だから、「気持ちが続かない」「やる気が出せない」「やれない」自分に、苛立ち落ち込むばかりで、その先に進むことがなかなかできないでいる。

 

 

 けれども、私は時に疑問に思う。

なぜ、子供の躾に関しては「できない」という結果が存在しないのだろうか、と。

勉強や仕事、結婚、妊娠、出産は「できない」という結果は許され、きちんと存在する。

けれども不思議なことに子供の躾に関して「できない」という結果は許されることもなく、存在もしない。

 

多くの人間(そうしてほとんどの親も)は、親が「毎回」「厳しく」「きちんと」「怒鳴らずに」子供に言い聞かせれば子供は親の言うことを聞くと思っている。

だから多くの人間は、躾の出来ていない子供の親を「非難」はすれど「心配」はしない。助けることもしない。

 

「躾ができない」との質問に「できないなら、こうすればいい」とのアドバイスは存在しない。

必ず「○○すれば、絶対子供は言うことを聞くようになる」のような回答が帰って来る。

 

 

テクニックとしての「躾」は、誰でもやれば必ず結果につながると思っている。

だから、躾の出来ていない子供を持つ親は非難され、故に、言うことを聞かない子供を持つ親は苛立ち、ときにその苛立ちを子供にぶつける。

 

虐待をする親の常套句は「躾のつもりだった」だ。

虐待の背景には、そんな「躾至上主義」も大きく関係しているのではないか、と私は思えてならない。