それでも「母親」は辞められない。
沢山のコメントを集めているホットエントリーに、引っかかるタイトルがあった。
- 口で3回注意したが言うことを聞かないので、頬を叩く
- 大切なものにいたずらをしたので長時間正座させる
- 友達を殴ってケガをさせたので、同じように殴る
- 他人の物を盗んだので、罰として尻を叩く
- 宿題をしなかったので、夕ご飯を与えない
「これらの行為をしなければ、子供を躾られない」
とでも言いたげなタイトルで読者の不安を煽ろうとのライターの意図が見て取れる。
コメント欄では、「聞き分けのいい子(言葉だけで伝わる子)」と「聞き分けの悪い子(言葉だけでは伝わらない子)」の違いに触れ「前者んの子供には”痛み”や”罰”を与えても意味がない」との指摘がいくつかあり、非常に興味深かい。
例外はあるにせよ、健常者(あえての表現として、グレー診断は含まない)であれば、痛みや罰をのもなわなくとも、子供に「望ましい行動」へ導くのは理論的には可能だ。
ただ、そのテクニックを会得するには、時間と知識を要する。時にお金も必要だ。
ネット上では、いわゆる「ライフハック」のような形で、様々なこのテクニックが日々更新され、公開されている。
世の母親の多くは、皆日々悩み、努力し、工夫をしながら、痛みや罰を用いることなく、我が子と向き合う道を模索しているのだ。
とは言え、これらの「ライフハック」や「ほんのひと工夫」を実行に移すのは簡単ではない。
根気もいるし、手間もかかる。全ての親に、子供に当てはまるわけでもない。
そもそも「ほんのひと工夫」ができないからこその悩みでもあるのだ。
だから人は時として口だけで言い聞かせようとして感情的になり、力で押さえつけようとしてコントロールが効かなくなり、罰を与えて無理やり行動を制限しようとする。
私自身、手を上げはしないが、感情的にねっちっこく娘達を叱ってしまいがちだ。
身近にも、「あえて子供に痛み(暴力とまではいかないようだが)を与えることで、学ぶものがある」とのモットーを持っている人はまだまだいる。
私が子供の頃の母の口癖は「10数えるうちに○○しないと、お尻を叩くよ!!」だった。
下の娘の噛みつき癖に、先輩ママから「噛みつき返した方がいいよ。歯形が残るぐらいのガチで」とアドバイスされた経験もある。
まだまだ、体罰を伴う「躾」を良しと留守考え方を持つ大人が多いのが現状なのだ。
身近なモデルケースとして、肌感覚として、痛みや罰を伴わない「躾」の方法を私達はよく知らない。
、ってはいても、それを実行する余裕が心にも体にも時間にもない。
それが現状なのだ。
だからこその、賛否両論なのだろう。
もっと言えば、コメント欄でも同様の内容が言及されているが、
「○○才(○○年)になったら、××が出来なくてはいけない」
「○○では、××でなければいけない」
「公共の場で騒ぐ(泣く)、と周囲に迷惑がかかる」
などの規範意識の押し付けや、固定観念、周囲からの同町圧力の影響も大きいのでは、と思っている。
また、単純に子供が「出来ない」がために増える親の負担も大きいはずだ。
子供自身のペース以上の成長を望んでしまうからこそ、「まだ出来ない!!」「また出来てない!!」と焦り、イライラしてしまうのだ。
そんなことを、自分への自戒の念を込めつつ、つらつらと考えてしまった。
蛇足。
なぜ「母親」が主語なのだろうか??
「父親」が主語でないところに、このライターの悪意と、と同時にこの問題の闇が隠れているように私には思えてならない。
ワンオペ育児の悪影響も大いにあるのではないだろうか。