日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

夫にとっての「飲み会」の重み。

今日は夫が飲み会だ。

娘が小さかった頃に比べ、近頃の夫は「飲み会」の扱いが軽くなったように思う。数日前や前日に「明日飲み会だから」の一言で済ませられる。

「悪いんだけど」等と言った枕詞はない。

そこには全く妻である私に対する「申し訳なさ」も「感謝の気持ち」も存在しない。

 

日頃帰宅が遅く

  • 夕食の準備
  • お風呂
  • 着替え
  • 夕食
  • 皿洗い
  • 歯磨き
  • 成長ホルモン注射
  • 夫の夕食の準備
  • 寝かし付け

等の一連の夜のルーティンが私一人で完結しているからだろう。

そこに多少の混乱や遅れが存在したとしても、夫にとっては「変わらない日常」なのだ。

 

一方で、私にとっても夫の飲み会を「夕食を心置きなく手抜きできる日」と捉えるようになって久しい。

私の両親は、常日頃仕事で疲れている夫にいわゆる一品料理を出すのを好ましく思っていない。

時に「○○君(夫)がかわいそうだよ」と、一品料理やワンパターン料理、総菜を利用した献立をに対して非難めいたコメントをつける。

それはきっと、私が両親を常々頼っているが故の夫への配慮なのだろう。

その反動からか、罪悪感を感じることなく一品料理で完結する夕食が公認される夫の飲み会は、ある意味私にとっても「堂々と手抜きができる、特別な日」なのだ。

 

 

とは言え、夫の「子供抜きの外食」もっと言えば「帰ったら寝るだけの、夜の子供抜きの外食」がひどく羨ましく思えるのも事実だ。

私自身に、子供の抜きの「飲み会」の機会も誘いもないのも大きいのかもしれないけれども。

 

かつて、両親に遊ばせるだけの長女を預け「友人とお茶したい」と切り出した際、ひどく非難された経験が私にはある。

私は長女を生んでからと言うもの、一人で夕方から外出(外食も含む)した記憶がない。それは、私に極端に友人が少ないのが一番の原因だ。だが、その数少ない友人とも、互いの都合がなかなかつかず、「子供抜きで外食」にはどうして繋がらない。

 

きっと世の中には、子供を夫ないし両親、義両親に預けて外食する妻はごまんといるだろう。いるだろうが、夫のそれよりも心理的、物理的ハードルや頻度に違いはあるのではないだろか??

 

妻が専業主婦やパート主婦の場合は特に、妻が子供を夫に預けるにあたって、事前に食事の準備等の事前準備をするエピソードは割とよく聞く話だ。たとえ共働きであっても、夫の都合に合わせて予定を組むと聞く。あくまで「夫の都合」ありきの「妻の飲み会であり外食」である。

一方で、夫の場合、妻の都合を優先したり、様々な事前準備をするエピソードはあまり聞かない。

もちろんそういった配慮をする夫も沢山いるのだろうし、妻の都合に合わせて自分の飲み会の予定を組む夫も沢山いるのだろう。

いるのだろうが、妻側のそういった配慮に欠けた夫のへの愚痴を聞く機会も多いのも事実だ。

 

「飲み会」は仕事だと世の夫は言うだろう。だが、

  • ある程度は自分のペースで飲み食いができ
  • 他人のテーブルや床の食べこぼしを掃除する必要もなく
  • 食べ散らかした食器や残飯を片付ける必要もなく
  • 帰宅後、ゆっくり風呂に入って後は寝るだけ

な生活を送る夫を、自分のペースが守られないワンオペ育児をしている妻が羨ましいと思うのも、極々自然だと私は思う。

 

夫の「飲み会「堂々と手抜きができる、特別な日」とプラスに捉えるのは、対処方法としてはきっと正しいのだろう。

正しいのだろうけれども、何か違う気がする、と思う今日この頃の私だ。