日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

社会

夫婦間における「避妊の同意」について。

たとえ夫婦であっても、「性交渉には互いの同意」が必要だとの認識が広まりつつある。 であるのであれば、避妊について、もっと言えば女性主体の避妊について相手の同意は必要なのだろうか??

共同親権問題「なぜ、子供を連れ去るのか??」を掘り下げる。

「単独親権」イコール、法律で、親権を持てなかった側の親が、育児に子供の進路等の各種決定に関わるのを禁じているわけでは決していない。

夫にとっての禁句、妻にとっての禁句。

一般的に妻が夫に「稼ぎが悪い」と指摘するのは、大いなるタブーだとされる。 けれども一方で、夫が妻に「料理が不味い」「家が片付いていない、汚い」「子供しつけがなっていない」「子供の成績が悪い」と指摘するのはタブーとはされていない。

「外出自粛」を支える人々。

皮肉なのは、コロナの影響によって業務量が増えている、負担が増している人々の多くが(当然すべてではない)、その負担増やリスクに見合った報酬を受け取っていないのみならず、十分なサポートもなく、おまけに「コロナ差別」なる差別が生まれた事実だ。 実に…

目の前のニンジンを我慢する。

テレビを見ている限りではこれだけ警告がなされていてもなお、昼夜問わず繁華街などの人ゴミに出向く人たちがいるのは事実だ。 けれども、私はそれは仕方がないのかな、と個人的に思っている。人として。 あくまで「自粛要請」なのだ。 禁止ではない。 罰金…

子持ちパート主婦のジレンマ

「もっと働きたい」けれども、物理的にも精神的にも体力的にも、まだまだ難しいのが現状だ。そんな現状がひどくもどかしく思う今日この頃の私だ。

「家族や夫婦の在り方に正解はない」だから悩みが尽きない。

「幸せの形」がひとつしかないのは問題だ。 かといって、「幸せの形」がたくさんありすぎるのも、問題なのではないだろうか??

男性の当事者意識。全国小中学校臨時休校要請について。(追記あり再投稿)

この問題は、「家事と育児に支障のない働き方」という、ひじょうにふんわりとしていて、かついいとこどりな花炊き方を女性に求めすぎたつけが招いた、ともいえるのかもしれない。

アニメや漫画の性的表現について、あれこれ。ブルマーが嫌だった私達。

この手のデザインは私個人は好きだし、可愛いなと思う。けれども、胸や下半身等のボディラインの誇張は積極的には求めていないのも正直な気持ちだ。

主婦休みの日

例え、意識して「家事をしない」選択をしようとも、 お願いしたり、指示を出したり、お膳立てしたりするのも「主婦」 後回しにしたり、先取りして「しない日」を作り出すのも「主婦」 お金で解決するとしても、そのお金をどこから捻出するのか、どこかで帳尻…

望まない妊娠・突然の出産における男性の責任。

責任を問われるのは女性だけでなく、男性も同じだ。 反省すべきなのも女性だけでない、男性も同じなのだ。

父親の育児休。期間や日数だけじゃなく、タイミングも大事。

「今」「助けて欲しいタイミング」で「求めているサポート」が得られるのが理想だ。 もっとも、そんな「今」がいつ訪れるかなど誰にも分からない。 分からないからこその、現状の期間限定、日数限定の育児休暇なのだけれども。

「一夜の過ち」と酒に酔った勢いのセックスを肯定する人々。

一般論として、 「自分の意思で酒を飲み、結果意識を失い酩酊した女性」が自分の意思に反して異性と性行為に至った場合、この女性は性被害に遭ったとは言わない。 少なくとも、相手の男性は「レイプした」とは考えない。 当の女性も、「失敗した」とは思って…

車社会である地方都市で「車の運転に向いていない人」が車を運転する意味。

車社会である地方都市では、生活の足として車は欠かせない存在だ。 だからこそ、日々必要に迫られて運転している人の中には、自分の運転技術の未熟さを自覚し「できれば運転したくない人」や、客観的に見て「できれば運転してほしくない人」がもっと潜在的に…

父親と親権

離婚の相談を受けて、「子供から父親を、母親を取り上げてもよいの??」と疑問、っ感想を持てば、共同親権に傾く。 逆に「子供にとって、そんな父親、母親必要??」との疑問、感想を持てば、単独親権に傾く。

犯罪といたずらの境界線。

当人にはまだまだ「性的な意味での悪気」はないのだろう。だから、私の反応が大げさだったのかなぁ、と思いつつ。 「大人がやったら犯罪」なのだから、大げさなくらいがいいのかなとも思う気持ちを、まだ引きずっている私だ。

子供の入院の付き添いについて考える。

病院側は、「親の付き添いありき」で患児の入院を想定しているきらいがある。 そこに、この「子供の入院の付き添い問題」の問題点が集約されているように、私には思えてならない。 故に、付き添い保護者への配慮に欠けるのだ。

性的表現や、女性蔑視な表現は「不快」と教えるべき、なのかもしれない。

「恥ずかしい」や「不快」という人の感情を強制するのはとても難しい。 何が「恥ずかしい」で何が「不快」であるかの線引きも曖昧だ。 でも、教育として、何かを教えていかなければいけないのかな、と個人的には思えてならない。

とっさの時に出るもの。愛の鞭と、暴力の違い。

手を繋いでいた子供が、手を振り払い急に車道に飛び出そうとしたら、あなたはどうしますか??

「躾ができない」という悩みは理解されない。

「躾ができない」との質問に「できないなら、こうすればいい」とのアドバイスは存在しない。 必ず「○○すれば、絶対子供は言うことを聞くようになる」のような回答が帰って来る。

教師間のいじめ再考

現実の、すぐ身近にある(あった)(あったかもしれない)「いじめ」に目をそらし続けてきた人間が、当事者が教師であるだけで、赤の他人のいじめになぜここまで感情的になるのか、正直私には不思議で仕方がない。

教師間でいじめがあるのは当たり前。

身近にある「いじめ」を見て見ぬ振りをし続けてきた多くの人間に、他人の行いを批判する権利があるのだろうか?? 私は疑問に思えてならない。

母親に間違えらる話。

下の娘が通う幼稚園は集団登園だ。集合場所で引率の先生が子供たちを拾っていく形をとっている。 最近は、子供たちを見送った後、集合場所で一緒になる先輩ママと、時間がある時だけちょっとした立ち話をするのが、私の楽しみの一つになっている。 さて、そ…

「日本代表の見た目がどう見ても外国人」を読んで。

この問題は、「日本人であるか否か」ではなく「日本人的身体的特徴を持ち、かつ日本の学校教育等で練習してきたか否か」に重点を置きたい気持ちが根本にあることが問題なのではないだろうか、と個人的には思っている。

食べても太らない人、食べたら食べた分だけ太る人。

ダイエットは常に私の興味関心を引く話題ではあるのだけれども。 こういう体質、食の傾向・嗜好などの根本的なところが違う人間と、同じ指標・土俵で色々と体型をジャッジされるのって不公平だよなぁ、とつくづく思ったエントリーだった。

主婦の就職活動は罪悪感との戦い、なのか。

印象的だったのは、幼馴染の母親のこんなセリフだ。 「働こうと思ったら、いかに罪悪感と折り合いをつけるか、よ。働かなくても、罪悪感はあるんでしょう??どのみち罪悪感を抱くんなら、どっかで開き直らなくちゃ」 確かになぁ、と妙に納得してしまった。

夫の長時間労働を考える。

パートナーの長時間労働は、誰にとってメリットであり、デメリットなのだろうか??

大人の自己肯定感が低いのは、自己責任なのだろうか??

他人の自尊心を損なう発言を、意図してか、無意識なのか、「相手のためを思って」と発言する人は多い。そうして、そうして、その手の発言を「愛があった」と美談にする人も多い。結果論で、成功した人もいるだろうが、そうでない人もきっと大勢いるはずだ。

老人の徘徊は、厳密には「徘徊」ではない。

老人が道端でうろついているさまを「徘徊」と表現する人がいる。 けれども、本人にとって、それは意味も目的もない「徘徊」では決してない。 目的があっての「外出」かもしれないし、目的のない「散歩」や「散策」なのかもしれない。方角は違っていても、家…

異性に抱く憧れと幻想。(続・男に生まれたかった)

「生きづらさ」は単純に男と女で分けられない。「生きづらさ」はあくまで個人個人の問題だ。たとえ同性同士であっても、境遇が似ていても、互いを100パーセント理解はできない。