育児
育児中の父親の浮気話やお酒の話は割とよく聞く話だ。 であるのであれば、母親にだって「理由を問われず子供を預かってもらえる場所・人」があっても、いてもいいのではないだろうか、と私は考えてしまう。
ニュースの中の母親は「パチンコ」や「飲み歩き」「旅行」「外泊」を理由・きっかけで事件を起こしている。逆を言えば、それらの理由では子度を持を預かってくれる場所・人がない、いないとも言える。
他人の容姿や服装、持ち物について皆が皆とやかく言う文化というか風習というか習慣がなくなれば、トランスジェンダーの人たちにとってもっと行きやすい世界になるのではないだろうか。
皮肉だなと思う。 妻が「夫がいないほうが楽」と思えるのは、妻としてはとても好ましい状況だ。 なぜなら、妻が「夫がいないほうが楽」と思えるのは、妻が家事・育児を夫の手助けなし、もしくは多少の手助けのみで完結させていると言えるからだ。もっと言え…
「食べる人の笑顔があれば疲れが取れる」 的な話をする人がいる。 けれども、私は違う。 疲れているときに作った料理を家族がどんなにおいしそうに食べてくれても、私の疲れは取れない。
もしかしたら「子供が欲しくない」との意思表示をする人間に対する偏見が、私の中にあるからこそ、はっきり自分の意思を言語化することに強い抵抗を感じてしまうのかもしれない。
離婚時、別居時の「子供の連れ去り」について。 常々思うのだけれども、悪意ある「子供の連れ去り」と、勇気ある「暴力からの避難」の違いとは何なのだろうか??
仕事を始めてからというもの、「家事・育児の対価」や「家事・育児の負担感」について今まで以上にいろいろと考えるようになった。 その「いろいろと考える」理由は、やはり「家事・育児が労働にカウントされない」現実へに不満というか、違和感があるからだ…
「緊急避妊薬が市販化されたがために、”男性が”悪意を持った緊急避妊薬ありきの避妊なしの性行為が増えるのではないか」 「緊急避妊薬の市販化・一般化の結果、”望まない妊娠”の結果の”望まない出産”の女性への責任が今以上に問われるようになるのではないか…
夫はずるく、はっきりと「ポン助の仕事は趣味の延長でしかない」とは言わない。 言わないけれども、こうも毎回帰宅後「疲れた!!」とソファーに座り込む私が「夕ご飯を作る前提」で話を進める夫の姿を見ていると、そう思っているのではないか、と無性に疑い…
究極の手抜きである「作らない(買い物に行かないも含めて)」方法は限られている。 なぜなら「妻が作らない」ためには、代わりに「お金で解決する」か、「夫が代わりに作る」しか方法はないからだ。 であるのであれば、妻だけの意思や判断ではどうにもならな…
例えば、これが子供の目の前の暴力ではなく、大人の目の前の暴力であるのであれば。 「目の前で、暴力行為もしくは性暴力行為を見せられて心が傷付いた。トラウマになった。後の人生観が変わった。だから、暴力をふるった加害者のみならず、被害者にも責任を…
ずいぶん前に、こんな記事を私は書いている。 タイトルそのままのについての記事だ。 今の私も記事を書いた当時の考え方から抜け出せていない。 抜け出せてはいないが「他人に期待するのは無意味」との真理を理解できるようにはなった。 もっとも、だからと…
家事について(いや、家事のみならず育児についても)「簡単だ」とのネットでの投稿を時折目にする。 興味深いのに、この手の投稿は大抵どこか挑発的で、見下した表現で書かれている。
そんな幼少期の母親の「正しい」の姿を見て、「できた人だな」「すごいな」「ありがたいな」と尊敬し、感謝する気持ちがある反面、「母のように振舞えない自分への罪悪感というか、自己嫌悪みたいな違和感」を抱えてしまう自分がいる。
以前にも同じ趣旨の記事を書いているのだけれども。 「育児は父親もするべき。でも、家事は主婦の仕事だから、役割分担としてする必要も手伝う程度でよい」 との主張をしばし見聞きする。 私は、この主張に、非常に違和感を抱く人間の一人だ。 私個人として…
いや、夫からすれば「家事・育児をできないようになっている」と表現すべきなのかもしれないけれども。 夫の中で確立された夫の生活リズム、生活習慣を間近で観察し、改めて「夫の家事・育児に対する不満」と「その不満の持っていき場所のなさ」について色々…
雨の降る猫の額ほどの庭を見ていた、小学2年生の長女の言葉だ。 「雨の日って、葉っぱかピカピカ光ってきれいだから好き」 「それに、雨の日はお外に出ないから、病気(コロナ)にかからなくていいね」 と。 雨の日の美しさを感じ取る繊細な感覚を持てるよう…
ちなみに、既製品のお弁当や揚げ物系の総菜やミールキットのメニューにを見ても、「長女が好きそう!!」と私はなかなか心躍らない。 そもそも、言葉は悪いが私は「長女が好きそうか、そうでないか」を考えるのに飽きてきているのかもしれない。いや、飽きて…
今日は怒鳴り散らしたいところをぐっとこらえて、 「忘れ物に気が付いて偉かったね」と褒めてあげられた。そうして、再び長女を家の前まで見送った直後「ここで怒らずに褒めてあげられて、私も偉かった!!」と自分を褒められた。 なかなかできないけれども…
これは、私が人の顔色や意見、反応を気にしすぎるからこその、意見であり疑問でもあり、矛盾なのだけれども。 「子供を持つ、持たない」との選択肢は、「結婚するしない、離婚するしない」の選択肢に大いに影響を及ぼす。「価値観の違い」として法的にも適用…
結婚前、新婚当初。私はこう考えていた。 「収入が低いほうが、家事を多く担うべきである。」と。 「労働時間が短いほうが、家事を多く担うべきである。」と。 故に、こうとも考えていた。 「子供が生まれたら、収入が少なく、大きなキャリアアップが望めな…
いや正確には、「仕事と、自分の都合に合わせた家事・育児をしたい」なのだと思う。 出社前の家事・育児、帰宅後の家事・育児がひどくしんどく思える今日この頃の私だ。ぐずる次女をなだめながらつくづく思うのだ。特別この時期職場が忙しく早出や延長の選択…
コロナに絡めた、共同親権に関する記事を目にする機会が増えた。 共同親権に関する記事には、必ずと言っていいほど「悪意のある理由で子供を連れ去られた側の親」が登場する。おまけに連れ去られた側の親は大抵父親で、十分な育児実績を持つイクメンだ。そう…
たとえ夫婦であっても、「性交渉には互いの同意」が必要だとの認識が広まりつつある。 であるのであれば、避妊について、もっと言えば女性主体の避妊について相手の同意は必要なのだろうか??
「できない」のは自己責任。「やるきになれない」のも自己責任。だって、解決方法がこんなにもたくさん世に溢れているのだから。
「単独親権」イコール、法律で、親権を持てなかった側の親が、育児に子供の進路等の各種決定に関わるのを禁じているわけでは決していない。
今はネットやSNSで簡単に他所の家庭の「日常」が垣間見れるのも手伝って、ついつい「生産性のある何か」「有意義な何か」をしていない自分と比べ、落ち込んでしまう。
「パート主婦」「アルバイト主婦」「扶養内で働く主婦」「年収の低い正社員の共働き主婦」の「働きたい」は趣味の延長でしかないのだろうか?? 少なくとも、大黒柱として働く夫には「働きたいんでしょ」とは聞かない。
一般的に妻が夫に「稼ぎが悪い」と指摘するのは、大いなるタブーだとされる。 けれども一方で、夫が妻に「料理が不味い」「家が片付いていない、汚い」「子供しつけがなっていない」「子供の成績が悪い」と指摘するのはタブーとはされていない。