夫のことを「イクメンだね」と褒めらると、夫に対する諸々のハードルが上がること
先日、何気のないママ友との会話の中で、ママ友の一人から「ポン助さんの旦那さんって、イクメンだよね」と言われた。その理由というのが、「幼稚園の行事への参加率が高いから。その際、下の娘の面倒を良く見ているから。仕事が休みの日には、集合場所まで上の娘を送迎しているから」と言うものだった。
「イクメン」とは、すなわち「育児をする男性」の略称である。
するのは「育児」であって、厳密にいえばその中に「家事」は含まれていないらしい。
幼稚園の行事に頻繁に参加していれば、当日早起きしなくとも、いくら帰宅後疲れてソファーで転寝しようとも、疲れた子供たちが寝ている隙をついて張り切って一人出掛けようとも。立派な「イクメン」と褒められるのだなと思うと、私はそんなママ友の褒め言葉に素直にのろけることができなかった。
(もっとも、ママ友は私たち家族の生活のすべてを見ているわけではないのだから、致し方ないのだけれど)
専業主婦の夫=家事育児には基本ノータッチ
妊娠・出産前の自分もそう思っていた。自分の心と体に余裕があれば、今もそう思っていたのかもしれない。
けれども事情は変わった。日々心にも体にも余裕はなく、寝かし付けをすればそのまま子供達と一緒に朝まで(下の娘の夜泣きはまだまだあるものの)寝てしまう毎日だ。自分の時間もあるようでない。自分の都合だけでは単独行動は許されない。
とは言え、それが「母親」なのだ。そんな日常に不満を持ってはいけないとも思う。
身近に頼れる家族もおらず、旦那さんも仕事が忙しいが故に協力的とは言えない(そうならざるを得ない面もある)ママ友の話を聞くと、自分が如何に恵まれているのか、思い知らされもする。
思い知らされもするのだけれど、自分より大変な人がいることを知ったからと言って、自分のしんどさが軽減されるわけではない。しんどいものは、しんどいのだ。
とは言え、家事・育児を、何もしない、もしくは物理的に(能力的にも)できない夫を持つ母親にとって、私の夫は立派な「イクメン」である。
幼稚園の行事積極的に参加する夫の姿は、「羨ましがれる」存在なのだ。
育児をしなくとも、許される夫
一方で、夫が育児から(そうして家事からも)完全に開放されているとき、私の両親、そうして夫の両親は、全く夫を咎めるということをしない。むしろ、日々仕事で疲れていることを心配し、労りの言葉をかける。ソファーで転寝していても、何も言わない。一人遊びに出かけても、当然何も言わない。
夫=父親は育児をしなくてもよい。仕事で疲れているのだから、息抜きは必要だ。
私の両親や夫の両親だけではない。世間一般に、仕事をしている父親が息抜きの時間を持つことは当然の権利だと思っている人は多いように思う。
私の夫も同じように思っているのだろう。
だからこそ、夫は何の疑問も持つことなく、一人で出かけ、睡眠時間を削って趣味に没頭し、削られた体力を回復するためにソファーで転寝することに、何の罪悪感も、申し訳なさも感じないのだ。
私が、家事もままならない状況の中で、どんなに子供たちにイライラしようとも。その権利は守られなければならない、そう思っているように、私は思えてならない。
夫の趣味に寛大な妻=できた妻という価値観
私の両親や、夫の両親の、夫の趣味に寛容な姿勢の影響は大きい。彼らが文句を言わないので、自分も言えなくなってしまう。
また、自分の中に、「夫の趣味に寛大な妻=できた妻」であるという価値観もどこかにあるため、「夫の趣味に文句を言ってはいけないような気持ち」についついなってしまう。
「イクメン」とはかけ離れた姿をした夫を持つことが、なぜか「できた妻」であることの条件にもなってしまっている。複雑な思いだ。
夫の本音。本当の「イクメン」とは??
また、夫の中には「自分はイクメンだ」「十分に家事・育児をやっている」という自負がある。「やれることはやっている」が夫の口癖だ。
夫が堂々と自分のためだけの「純粋な一人時間」を楽しむことができるのは、そんな思いもあるからだろう。
けれども現実は違う。妻である私の本当の気持ちは置き去りにされたままだ。
けれども、私にとってはどうだろうか??
少なくとも、休日の夫にとって物理的な理由で家事・育児ができない理由はないはずだ。「やれるはず」のことを「やらずに逃げている」ようにも見える夫は、私にとっての「イクメン」なのだろうか??