父親と趣味。夫の趣味に寛容な妻は、良い妻なのか??
そうして、それは妊娠中・育児中の妻にも当てはまるのだろう。夫の趣味についの不満をこぼす妻に対し、ネットの世界では(時に現実世界でも)「旦那さんは仕事で疲れているのだから」とたしなめられる場面に遭遇することは、珍しくはない。
一方で、そのまた逆も言えるのだと思う。
「妻の趣味に寛容な夫は、夫で良いある」と。
けれども、妊娠中・育児中の妻の場合、物理的・体力的な理由で妊娠前と同様の趣味を持つことが困難な場合が多々ある。妻の場合は、時に自主的に、時に「仕方がなく」趣味を制限したりあきらめることもままあることだ。
そうして、そんな妻の姿を、多くの夫は(そうして妻も)「当然だ」思っており「仕方がない」と問題視することはない。
先日こんな気になる質問を見つけた。
夫に趣味を持つことを勧めたら、離婚と言われた : 恋愛・結婚・離婚 : 発言小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
質問の主な内容としては、以下の通りだ。
- 子供(二人)の手が離れたので夫に趣味を勧めたら、なぜだか離婚を言い渡された。
- 妻は、細々と続けていた趣味を、この機に増やしている。
- 夫は、上の子供が生まれたあたりに、妻から趣味を「無理やり辞めさせられた」と記憶している。
- 妻は、夫の趣味を「無理やり辞めさせた」記憶はなない。
- 夫が趣味に費やす時間は、週一度平日に数時間程度。
- 妻には、離婚するつもりは全くない。
また、のちの質問者の返信により、以下のような詳細が明らかになっている。
- 妻は、専業主婦である。(パート経験もない)
- 夫は、日々のお弁当作りと休日の夕食作りを自主的に行っていた。
- 上の子供も、夫の見方である。
- 上の子供も、妻と(母親と)趣味を巡ってもめ事を起こした過去がある。
- 妻は、子育て期間中の夫の趣味に理解を示しておらず、その気持ちが、日々の言動や態度に露骨に表れていた。
- 妻は、夫が趣味を辞めた後の、自宅での自己練習についても好意的ではなかった。
- 夫は、自己練習を続けることができたら、後々趣味を本格的に再開するプランを持っていた。(結局は、そのプランは実行できなかった)
後の質問者の返信が念頭にあれば、この質問者のような「夫の趣味に不寛容な妻」は非難されるべき要素がたくさんあるのかもしれない。
けれども、当初の質問文だけだったらどうだろうか??
質問文の回答には、当初から(追加の返信がない時点から)非常に過激な言葉で質問者を非難する声が多数寄せられている。
けれども、 私はこの展開に、非常に大きな違和感を感じてしまった。
子育て期間中の父親が、趣味を制限されるのはかわいそうなのか??
仕事をしていることを理由に、子育て期間中の父親の趣味に理解を示す人は多いように思う。
けれども一方で、妊娠・子育て期間中の母親が、趣味を制限せざる得ないこと(自主的に制限すること)に同情する人は少ない。
自分が苦しい思いをしているから、制限を受けているから、相手(夫)も制限を受けて当然である、と言う考え方は間違っているのだろう。
とは言え、育児に関して一番身近な協力者である夫が「自由気ままに」(思い込みもあるだろうが)趣味を満喫している姿を目の当たりにさせられることに、不快感を抱くこともまた自然なことなのではないだろうか??と私には思えてならない。
忖度される母親。忖度されない父親
そもそも、子供ができると、多くの母親は周囲の人間から気を使われ集まりに「誘われなく」なる。
一方で、父親はどうだろう??
私の夫の場合、趣味の外出のきっかけは、友人や職場の上司に誘われて、と言うケースが少なくない。
自分の周囲がそうだからと言って、言い切ってしまうのは間違っているのだろうが、父親と母親(男と女)で対応が異なるのは、よくあることのように思う。
そんな周囲からの気遣いもまた、「子育て中であっても、夫の趣味に寛容であるべきだ」と言う価値観に疑問を挟む余地を奪っているのではないだろうか??と私には思えてならない。
「夫婦は対等であるべきだ」
「夫婦は対等であるべきだ」という理想と「そもそも生物学的に男と女は平等ではない」「置かれた環境も同じではない」と言う現実。そんな理想と現実の矛盾が、私をモヤモヤさせているように思う。
けれども一方で、「男と女は違う」「置かれた環境が違う」のだから「対等でいられなくても仕方がない」と割り切れない自分もいる。
もしかしたら「夫婦は対等であるべきだ」を理想とするから、私は苦しいのだろうか??