「パパ閉店」「ママ開店休業中」
「ママ閉店」と言う、とても面白いワードを見つけた。
「ママの閉店時間」をママとパパの双方が意識的に作ることによって「ママの一人時間」を積極的に確保することへの呼びかけに対して、賛否両論起ったという話である。
私自身は、とても素晴らしい提案だなぁと素直に思った。
けれども、育児放棄を推奨するなんて!!といった極論に走った類の批判意見もちらほら見受けられた。
なぜ閉店でなければならないのかが、一部の人間には理解できないのだろう。
けれども私は、あえて「閉店」でなければいけないのでは、と思っている。
「私の自由時間」=「ママ開店休業中」
- 徒歩圏内に、気軽に頼れる自分の両親がいること
- 夫は家事・育児に協力的であり、極端に激務でもないこと(9時までには帰宅、泊りの出張はない)
- 夫の両親にも気軽に(都合次第で)頼れること
- 二人の子供のうち、一人は幼稚園に通っていること
など環境に恵まれているからだ。
おかげで、ちょっとした自由時間は、日々の生活の中でちょこちょこある。
例えばこんな時だ。
- 子供達がテレビを集中して見ているとき
- 夜、寝ているとき
- 上の子が幼稚園に行っていて、下の子が、昼寝をしているとき
- 実家で子供達が両親と遊んでいるとき(もっとも、しばらくすると値を上げて文句を言ってくるのだけれども)
けれども、この場合の自由時間は、「純粋な、自分一人ための自由時間」では決してない。まず第一にするのは炊事・洗濯・掃除などの最低限の名前のある家事である。それが終わって初めて、自分の趣味(読書やネット、録画テレビ番組の鑑賞など)や、名前のない、日々の生活をよりよくスムーズに送るための家事の時間を持つことになる。
正直、本当の自由時間ではない。当然「母親業を閉店」することにもならない。
多くの母親にとっても、同じではないのだろうか??と、私は思う。平日はまだしも、夫が休日の日は多少の自由時間を作ることは可能だろう。けれども、その自由時間は、母親にとっての、「純粋な自分一人のための時間」なのだろうか??と、私は疑問に思えてならない。
お店で例えるのなら「開店休業」状態である。
お客(=子供たち)がいなくても(相手をする必要がなくても)、お店(母親業、主婦業)は営業中なのだ。諸々の最低限の仕事(家事)がなくなるわけではない。共同経営者(夫)の許可がなければ、店(家)を離れるわけにもいかない。どのタイミングで、いつまで休めるのかも共同経営者とお客次第で都度変わってくる。
人を雇っていれば、店番も立派な仕事である。けれども、「ママ」の世界では仕事にはカウントされない。
「開店休業中」状態にあっても、「閉店」とみなされる。だからこそ、本当の「閉店」
にこだわってしまうのではないだろうか??
「夫の自由時間」=「パパ閉店」
では父親の場合はどうだろうか??
少なくとも、私の夫の休日での言動を見る限りでは、自分の都合でいつでも「閉店」する権利が自分にはあると思っているように、私には映る。
- ご飯時に家にいないときがある。
- ご飯を準備しなければならない時間になっても帰ってこないときがある。
- 不在時の、子供たちの食事の心配をしない。
- 自分の実家に帰った時は、子供の相手を積極的にしない。(夫の両親も、そんな夫の姿を見ても何も咎めない)
- 子供たちの意見を尊重する体で、お風呂や寝かしつけを積極的に避ける。
- 下の子供の夜泣きに効率よく対応できないからと、夜家を空けたり、在宅時も積極的に夜泣きの対応をしようとしない。
子供のこと家のことを二の次にしているように、私には思える。完全に「パパ閉店」状態だ。
けれども、「パパ閉店」は世間的にはあまり非難されない。父親は友人からの「子供抜き」前提の誘いも格段に多い。子供なしでの外出時に、周囲から「子供はどうしたんですか??」と聞かれることもない。「ママに自由な時間をあげる」という理由なしに、子供と一緒に外出することもない。
「パパ閉店」「ママ開店休業中」が当たり前になっているからこそ「ママ閉店」が、ある人には耳障りよく聞こえ、ある人には耳障り悪く聞こえるのではないだろうか??
もっとも、「ママ閉店」をしても、「パパ閉店」のように自由気ままには動けないだろうけれども。