日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

母親と親権

先日もまた、とても興味深いエントリーを見つけ、思いついたままにコメントを残したろころ、思いのほかたくさんの星をもらい、とても驚いてしまった。

 

anond.hatelabo.jp

 

母親だって人間だもの。聖人君主でもないもの。なんで、親権を放棄した母親はこんなにぼろくそに言われるのだろう。親権を放棄した父親なんて世の中にわんさかいるのに、誰も叩かない。 

 

私自身も、かつて夫の口から「母親が子供を引き取らないなんて、人間的に問題があるに違いない」的な意見を、会話の流れで聞かされた経験があり、自分の正直な気持ちを書かいたのが上記のコメントである。

 

目次

   

 

約8割の母親が、離婚の際子供を引き取っていると言う現実

www.mhlw.go.jp

この「8割」が、高いのか低いのか。

漠然としたイメージだけでなく、数字としてはっきりとデータに出ている「8割」があらわすもの。

 

この「8割」をどう捉えるのか。

  • 母親の8割は、親権を取ることができる。なのか。
  • 母親の8割は、親権を取らなければならない。なのか。
  • 母親の8割は、親権を手放すことができない。なのか。

 

はたして、母親にとって「親権を手放す」という選択肢がない現状は、歓迎すべきものなのだろうか??

翻れば、「父親の8割は、親権をとることができない」のだ。選択肢がないのは同じである。多くの父親にとってもまた、歓迎すべきものとは私は思えない。

 

もっとも、自分に置き換えてしまうと、「いざという時、私は子供たちとは絶対に離れたくはない」という本音を抱えている私にとって、とても矛盾した疑問でもあるのだけれど。

 

 

父親と親権

多くの場合、父親は子供が小さいうちは、親権をとることが難しいとされる。ある程度大きくなり、子供が自分の意見を言えるようになると、「子供の意思」の如何によっては、親権をとることが多少はできるようだ。

 

 

一方で、積極的に親権を望まない父親も、私の心象でしかないが、結構な割合でいるように思う。

父親の場合、親権をとれなくとも、社会的に批判される機会は少ない。むしろ同情の対象となる。

それ故、父親は、親権を手放すことへの、心理的ハードルが母親よりも比較的低いように、私には思える。

 

 

離婚の際母親に引き取られた子供に対して「父親に捨てられた」という表現はあまりしない。

一方で、父親に引き取られた子供に対しては「母親に捨てられた」という表現が当たり前のように使われる。

父親にとって、親権を母親に渡すことは「子供を託すこと」とみなされる。 

一方で、母親にとって、親権を父親に渡すことは「子供を捨てること」とみなされる。

けれども、そこに多くの人は、矛盾を感じていない。

 

私が件のエントリーに過敏に反応してしまった理由。それは、人々が無意識に抱える男女差別や、ジェンダーの問題を垣間見たからだ。

 

 

シングル家庭と貧困

現在の私は無職の身だ。過去の職歴も、決して立派なものではない。資格は持っているものの、実務経験はほぼないに等しい。つまり、運よくフルタイムで再就職できたとしても、今と同じ生活レベルを維持することは難しい立場にある。

 このような状況下にあっても、おそらく主張すれば私は親権を取れるだろう。(体も健康で、就職する意欲があり、かつ頼れる親族が身近にいることも大きいだろうけれども。)

 

親権の取得が母親に偏る理由は主に二つある。

  1. 養育実績が父親よりもある。
  2. 「子供には母親が必要である」という社会規範と世間の偏見、社会的圧力。

 

そのため、母親に親権が渡らない、約2割の極めて少ないケースに入るためには、それ相応の理由が必要になる。

 

  • 病気などの理由で、体力的にできない。
  • 海外への長期出張などの仕事の理由で、物理的にできない。
  • 虐待や育児放棄などの理由で、能力的にできない、意欲もない。
  • 刑務所や更生施設への入所などの理由で、物理的にできない。

本来ならば、ここに「母親の強い意志」も入るべきなのだろうけれども。

 

近年の痛ましい虐待ニュースを見るにつけ、中にはごく少数であるだろうけれども「周りからの無言の圧力で仕方がなく」「父親が親権を放棄したから」などの消極的な理由で子供を引き取るという選択をせざる得なかった母親もいるのではないか、と思わざる得ない。

 

 

さて、上記の理由以外の、経済的な理由は子供の親権にどう影響するのだろうか??

 

多くのシングル家庭(主にシングルマザー家庭)が経済的に困窮している。

すなわち、経済力の無い母親でも、子供を引き取ることができるのだ。

逆説的に言えば「経済的理由」は子供を引き取らない理由にはならない、とも言える。

言い換えるのならば、離婚をためらう理由に「経済的な事情」を上げてはいけない、とも言える。

 

育児にはお金がかかる

とは言え、育児にお金がかかることは事実である。

けれども、子供を育てながら働くということは、残業や休日出勤、土日勤務などが難しいということでもある。業種も職種も、雇用形態も限られてくる。すなわち、「一家の大黒としてバリバリ働いてお金を稼ぐ」ことが、とても難しいということでもある。

また、ストレス軽減のためには、最新家電外食や中食の活用、家事代行サービスの利用などで、今以上にお金を必要とすることも、容易に想像できる。

 

「子供を一人で育てる=働き方が制限される」のが現実だ。

 

とても飛躍した解釈かもしれないけれども。

子供の貧困が社会問題になっている背景には、

  • 「親権は基本は母親」
  • 「親権を手放した母親は、人間として問題がある」
  • 「母親に育ててもらえない子供はかわいそうだ」
  • 「経済的な問題を、離婚をためらう理由にしてはいけない」

という母親自身の思い込みや社会的圧力も影響しているのでは??と思えてならない。

 

 

余談

家事・育児に積極的に参加しない男性の中には「お金を稼ぐことも育児の一環だ」と主張する人がいる。けれども、離婚時には、実際の養育実績がものを言いうケースが多い。よほど稼いでいない限り(お金で家事・育児のストレスを解決できるくらい)「お金を稼ぐだけでい育児をしていることになる」と主張することは、難しいのでは、と個人的には思ってしまう。