日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

「料理の手抜き」に対する、抵抗感と罪悪感。

とても興味深いエントリーが、ブックマークのコメント数を伸ばしている。


私も、「手抜き料理」に抵抗感や罪悪感を抱くタイプだ。一方で、夫はありがたいことに「食」に対して頓着ないタイプである。

夫が「手抜き料理」に寛大なのであれば、私も手抜き料理に、抵抗感罪悪感を抱く必要はないはずである。

では、なぜ真逆の反応を示してしまうのか。改めて考えてみた。

 

目次

「○○君(夫)がかわいそうじゃない(か)」と言う、私の両親。 

単純な話、両親に我が家の食卓事情を話題として提供しなければいいだけの話ではあるのだけれども。

話の流れ上、両親からの問いに答えた結果、上記のようなセリフが返ってきた経験が私には実際にある。

我が家ではごくごくありふれた定番メニューであり、夫婦ともに納得済みの、我が家的には決して手抜き料理ではない献立の日でさえ、私の両親は時折「○○君がかわいそうだ。もっといいもの(美味しいもの)を食べさせてあげなさい」的な感想を漏らすことがある。

 

リアルな世界で受け取る「手抜き料理」へのマイナスイメージの影響はとても大きい。

 

 

ネットの世界でも叩かれる「手抜き料理」

リアルな世界だけではない。ネットの世界でも、「手抜き料理」に関するマイナス意見を見聞きする場面は意外に多い。

 

相談サイトに「専業主婦の妻、兼業主婦の妻の料理が手抜きで困ってます。どうしたらちゃんとした料理を作らせることができますか??」などの相談が定期的に投稿されたり。

ママタレントがSNSにご飯やお弁当写真を投稿して炎上するエンタメニュースが話題になったり。

 

私個人としては大きなお世話だし、彼女達のメニューを「手抜き」だとも「不味そう」だとも思わない。思わないけれども、そう思う人の声がネット特有の現象として大きく取り上げられてしまう。

 

そんな、リアルでない世界から受け取る「手抜き料理」へのマイナスイメージの影響も正直あるように思う。

 

 

そもそも「手抜き料理」とは??

もっとも「手抜き料理」の定義は人それぞれだろう。

「惣菜」や「半調理品」「○○の素」の使用の有無だけではない。

トータルの品数、メニューの内容、いかにそれぞれのメニューで食材が被っていないか、レパートリーの豊富さ(毎日献立が違うこと)、などなども条件として挙げる人もいるだろう。

 

私の感覚では「単品料理」(カレーやうどんなどの麺類)も一から手作りしていても「手抜き料理」だ。(少なくとも、私の両親に言わせると立派な手抜き料理らしい)

ちょっと頑張れば休日のお昼ご飯に作るようなメニューを平日の晩御飯に作るイメージだ。

もしかしたら、 自分自身で「手抜き料理」のハードルを上げすぎているのだけかもしれない。

 

毎日違う献立を考えることの難しさ。

もともと私は料理自体は嫌いなほうではない。時間の制限と、言葉が悪いが子供たちの邪魔しなければ、作業を苦だとは思はない。

 

苦手なのは、「献立を考えること」だ。

 

  • 自分の食べたいもの。
  • 子供の食べれるもの、喜ぶもの。
  • 夫の食べれないもの。

などを考慮して日々献立を考えるのだが、どうしてもマンネリ化してしまい学校ちだ。結果作る楽しみ、工夫する楽しみが薄れてしまってい私のストレスの原因となっている。料理が作業になってしまっているのだ。

おまけに「自分の食べたいもの」が気持ちよく食べれないことも大きい。(私の好きな物は、夫と娘には不評である)

 

現状、すでに「手抜き料理化」しかかっている状態の我が家である。(同じメニューがたびたび登場するという点で)

これ以上「手抜き」をしていいのだろうか??という問いが私の頭の中に常にある。

 

 

夫の本音がわからない

そもそも、夫の言葉を額面どおりに受け取って言いのだろうか??という疑問が常に私の頭の中にある。

 

なぜならば、実際に「究極の手抜き料理」を連続して食卓に登場させたことがないからだ。

 

本当に毎日「カレー」を出し続けたとしたら。

毎朝、納豆と味噌汁、ソーセージだけを出し続けたとしたら。

同じ具材で鍋スープの素の味だけ違う「鍋うどん」を一日おきに出し続けたとしたら。

それを一年以上続けていたら。

 

数年後、間違いなく「もうあきたよ」「家族の健康に良くない」「子供たちの教育によくないんじゃないか」「子供たちが学校で恥をかく」と、音を上げる日が来るのではないだろうか、と思えてならない。

というか、正直私自身がそんな貧相なメニューの繰り返しは嫌だ。

 

 

健康面、家計その他への影響

最後に思いつくのは、やはり家族の健康面と家計への影響だ。特別、健康面への影響はとても心配だ。

 

私のBMIはぎりぎり「標準」だ。一方で、夫は「肥満」である。

夫には失礼かもしれないが、「肥満」体型の夫が主張する「手抜き料理万歳!!」を、私は心から信じることができない。

傾向面だけではない。会計への影響もそうだし、周囲の目も気になる。私の両親だけでない、これから増えるであろう学校での生活発表などへの影響も気になるところだ。 

 

もし、夫や子供が生活習慣由来の病気になったら。

会社学校で、「食」が話題になって、恥をかくことがあったら。

 

責任を問われるのは間違いなく私だ。

治療や生活習慣の改善のために主に動くのも私だ。

間接的に恥をかくのも、もちろん私だ。

 

間違っても「どうして旦那さんは、妻の手抜きメニューを許しているのだろう??」という疑問は持たれない。

「どうしてお父さんは健康的な料理を作らないのですか??」と責任を問われることももちろんないだろう。 

 

「いい加減」に「健康的」で「経済的」に「家族が外で恥をかかない程度」に「料理に手を抜くこと」って、それなりの能力と、強い心と、家族の理解がないと難しのでは、と私には思えてならない。

 

 

余談

私自身に、「手料理」に対するプラスなイメージがあることも大きいのかもしれない。美味しい料理を、日替わりで異なるメニューを食べる幸せを知っているからこそ、そこにこだわってしまう部分もあるのかも、とも思う。

 

結局、自分で自分の首を絞めている、ということなのだろうか。