日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

専業主婦が抱く罪悪感について、思うこと、考えること。

昨日の朝、テレビのワイドショー番組で「専業主婦が抱く罪悪感」についての街頭インタビューの映像を流していた。

 

罪悪感を抱く人。抱かない人。当然全双方の意見がある。中でも、罪悪感を抱く人の意見の中の「一億総活躍社会」という国のスローガンに対する罪悪感という発言に、私は妙に納得してしまった。

 

世間一般的の近年の専業主婦のイメージはあまりよくない。
上記のエントリーには、専業主婦を希望する女性に対する辛辣なコメントが数多く寄せらえている。おそらく男性に対して「高収入」と「若さ」を求めていることにへの反発心からくるもので、「世間一般的な専業主婦」に対するものでは決してないのだろう。

 

とは言え、「共働き家庭」の数が「方働き家庭」の数を上回った今、少数派である「専業主婦」の意見を積極的に取り入れ、利権を守ろうという声は、社会からも政府からも年々弱まるばかりだ。

 

 私も上の娘を妊娠する前は正社員で働いていた。働くことの大変さはよく知っている。もっと言えば、家族を養えるだけの稼ぎを得ることの難しさ大変さは、想像の域を出ないが、すごい事だなと単純に思う。自分にはできないことだなもする。心の底から憧れもする。

 

 

私自身も、専業主婦であることに罪悪感を抱いてしまうタイプの一人だ。

けれどもどうしてだろう。私には二人の子供がいて、下の2歳の娘にことさら手を焼いているからこその感情なのだろうけれども。

「専業主婦は暇」で「常に夫に感謝」しなくてはならくて、一人で高水準の「家事・育児」を完ぺきにこなすことが当然、という考え方に、一言言いたくて仕方がない自分が正直いる。

 

専業主婦であっても、夫婦は対等でありたいな、とは思う。お互い感謝し合える関係でありたいな、とも。

思うけれども、夫の言動、両親や義両親、ママ友との何気ない会話の中にさりげなく醸し出される「夫を立て、感謝しなければいけない」という空気感に「私たち夫婦は、決して対等ではないのだな」と思えてならない自分がいるからだ。

(夫に対する不満を口にするがために、そうアドバイスせざる得ないというのもあるのかもしれないけれども)

私の場合、罪悪感の正体は、「周囲からの感謝の強要」なのだ。 

 

ネットの世界でも、リアルの世界でも。

専業主婦の夫が妻に対して「思う存分仕事に集中させてくれてありがとう」とは言わない、だろう。一般人は、公の場でそのような意味合いの感謝の言葉を発することもまずない。

専業主婦の妻に対してだけではない。「働く専業主婦」(扶養内パートや家庭でできるフリーランスの仕事など)に対して、夫が積極的に「家計のために稼いでくれてありがとう」と伝えることもない。
団塊世代の人もそうだ。専業主婦の妻嫁や娘に対して「たまの(夫の)休日ぐらい母親業と主婦業を休まなきゃね」とも積極的には言わない。

 

けれども一方で、専業主婦は夫に対して「家事・育児に集中できることへの感謝」「家事・育児を手伝ってもらうことへの感謝」を推奨・強要されることは多い。対夫には直接口にしないまでも、第三者に対しては感謝の言葉を発する機会も多い。

家事・育児をすることで、間接的に直接的に感謝を行動で伝えることもする。

 

 

専業主婦として何かにつけ、「感謝の言葉」を日常的に口にし、何かにつけ周囲の人間から強要されていると、私はどうしても夫との関係が「対等」ではないような気がしてならなくなる。

 

 だからこそ私は夫に「罪悪感」を抱き、同時に「罪悪感」を抱く自分に違和感を感じてしまうのだ。

 

 

そうしてもう一つ思うこと。

働きたくても働けない。

時間的にも物理的にも、そうして能力的にも。そんな思いがあるからこそ、「専業主婦」である自分に、もやもやしてしまうのかもしれない、と改めて思う。

 

もしかして、(能力的に)働けるけど働かない(自分の意思、夫の意向、子供の希望・都合で)、という状態だったとしたら。

専業主婦である自分に対して罪悪感をを抱かずにすむのだろうか??