いたたまれなくなる。
私は自分に甘い。
だから、できるだけ人にも優しく、寛容でありたいと思っている。
けれども、育児中は特に、この性格が災いして、子供に振り回されがちになる。
もっと言えば、子供にただ優くし、寛容なだけでなく、時に振り回されすぎた反動で、感情的な言葉を不必要に子供たちに投げかけてしまう。
気持ちの切り替えがへたくそで、自己肯定感の低い私の大きな欠点だ。
っい先日、父方の叔母と食事をとる機会があった。
自分の子供が3人、それぞれに孫が計5人もいる、子育て、孫育てのベテランを自負している叔母だ。もとより世話好きの性格も相まって、会うたびに私の子供たちへの接し方について、色々とアドバイスをしたがる。
そのアドバイスの中に、私にとって非常に耳が痛く、かつ非常に実践するのが難しい言葉あった。
「もっと毅然とした態度で!!」
「一貫した態度を取りなさい!!」
もっとも、育児に関する本やネット上でのアドバイス、一般的な育児論としてはよく聞くフレーズでもある。
幼稚園の先生や保健師、先輩ママにも同様のアドバイスを受けた経験もある。
けれども、私にはそれがどうしてもできない。
非難を覚悟で書くが、私は我が子の泣き声が、正確には心から絶望して、助けを求めるときのあの泣き叫ぶ声が生理的に受け付けない。よほど心と体に余裕がないと、とても不快に感じてしまう。
と同時に、とてもかわいそうに思えてしまう。いたたまれない気持ちにもなる。
子供の涙にも、放っておいて良いものと、良くないものがあるらしい。
私にはこの違いがさっぱり分からない。いや、分からないというよりも、線引きをしたくない気持ちが先に立っているだけかもしれない。
一貫性を持ったがゆえに、子供の出しているSOSを見逃してしまうのも怖い。
何より、同じ状況など2度とない、と私には思えてならない。、
- 子供の年齢
- 子供の気持ち、親の気持ち
- 子供の体力、親の体力
- 言葉を発っした側の言葉のチョイス、言葉を受け取った側の言葉の受け取り方
どれも、その時々で大きく違っていたり、微妙に違っていたりする。
許していいライン、絶対守らせなければいけないライン、が私には時々わからなくなる。
また、私は、人に「ノー」と言われた困った経験をたくさんしている。
その一方で、「ノー」と言われたことで、ピンチをチャンスに変え成長に繋げた経験がない。
あったのかもしれないけれども、今の私には記憶にはない。
ただ困っただけで、失敗をし、恥をかき、落ち込んだ先に、前向きな解決策を見つけることができなかった過去が尾を引いているのだと思う。
困っている子供、助けを求めている子供を見ると、かつての自分の姿とどうしてもダブってしまう。
人に「ノー」と言われたことで、私は成長できなかった。成長した自覚がなかった。
だからこそ、「ノー」の一言に重みを感じたり、いざとなった時(相手が困っているなと感じた時)、自分の感情を押し殺してでも「イエス」と言ってしまう自分がいるのかもしれない。
だから、「毅然とした態度」を取り続けるのが難しく、「終始一貫した態度」を取り続けるのも難しいのだ、と思う。
会社員時代の上司や先輩に言われた「ノー」の記憶は、今でも鮮明に覚えている。夢にも出てくるぐらいだ。
どうすれば昔の出来事を上手く消化することができるのだろうか??