日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

男に生まれたかった。

トランスジェンダーとしてではなく、単なる嫉妬や憧れとして「異性に生まれたら」と想像したとき。

自分のスペック(容姿、体力、学歴、職歴)はそのままで、ただ単純に性別だけ入れ替わったら、と人は考えるのだろうか??

それとも、性別が入れ替わったら、それに伴ってスペックも変わると考えるのだろうか??

 

数日前、ちょっと興味深いタイトルのエントリーが注目を集めていたので、のぞいてみたら、案の定と言うべきか、容姿端麗で実家が裕福な「ハイスペック」な女性であることが前提条件での、仮定の話だったようだ。

コメント欄では、この「ハイスペック」に関する大前提について、色々と突っ込まれていた。

 

私は女として生まれてきたことで、自覚・無自覚関わらず、色々な優遇を受けている。

とは言え、別段容姿に恵まれているとは言えない私だ。ものすごく「得したな」と思えるほどの優遇を受けているか、と問われると正直疑問だ。

 

と同時に、不利益も被っている。

幸いにも、私は進学や就職にあたって、周囲の大人から「女だから」と選択肢を意図的に奪われた過去はない。

けれども、本音を言えば「女だから」と選んだ職種に偏りがあったのは確かだ。

紆余曲折あったものの、一般的に給与が低いが定時で上がりやすい「事務職」を選んだのは私が女だったからだ。

私が男だったら、事務職は選ばなかったろうし、企業からも選ばれることはなかっただろう。

 

おまけに、私は妊娠をきっかけに正社員の仕事を辞めている。

私が妊娠しなければ仕事を辞めること(辞めさせられること)はなかった。妊娠は女しかできない。であるのであれば、私は女であったからこそ仕事を失ったと言えるかもしれない。

 

 

女としての利益・不利益があるからこそ、今の私があるのだ。

もし男して生まれていたからと言って、必ずしも良い方向に転ぶとは限らない。

スペック(学歴、職歴)は変わらず男になったとしても、性格や思考の癖が今のままなら、私が男として「羨ましいな」と思う姿にはきっとなれない。

もっとも、私が男に生まれていたら、スペックだけでなく性格までも違っている可能性も大いにあるのだけれども。

 

 

 

女としての一番のメリットは、やはり真の意味での経済的自立を夫からも、社会からも表面上では求められていない点だ。

  女として、社会的・世間的には経済的な自立を求められはするものの、経済的な自立の有無関係なく結婚も出産できるのが現実だ。男だったら、経済的基盤がなければ、結婚も子供を持つこともできない。選択肢がそもそもない。

 

女の場合、「子供を産むかもしれない」と仕事と育児を両立しやすく、かつ低賃金になりがちな事務職や非正規雇用などの「身体的・心理的負担の低い仕事」へのハードルは低くなる。同時に、家庭内における経済的責任からも逃れやすいのはある意味メリットなのだろう。

 

けれども一方で、

夫婦が対等な立場でいるためには

離婚後、死別後の生活を支えるためには

「女性が自身の力で経済的に自立すべきである」と考えるのは、必然でもある。

 

男女平等が叫ばれ、数字的にも男女の賃金差の改善が立証されてはいる。

とは言えまだまだ男女の賃金には大きな開きがある。

結婚・出産を機に離職したり、異動になったり(いわゆるマミートラック)、時短などで手取りが減るのも、よくある話だ。

 

個人的には、進学が就職においても、同様に機会が与えられているとは、私は思えない。

まだまだ、「女は良い大学を出ていなくてもよい」「女は事務職がよい」「女は正社員でなくてもよい」と公然と主張する人間はいる。

 

就職の機会も、必ずしも男女平等ではない。

職種によって男女の割合に隔たりがあるのは、仕方がないのか、異常なのか。

比較的賃金が低い職種に女性が集まりやすいのは、必然なのか、偶然なのか。

 

仕事の募集の際表面上「男女の別」は問えないが、内々でどちらかの性に偏った採用をするケースも大いにある。

私はかつて、無料の就職情報誌の製作に携わっていた。

現場の採用担当者からは「この業種には女性を中心に募集したい」などの本音をストレートに漏らされたケースは珍しくない。やっかいにも、手取りや、時給の低い職種(最低賃金すれすれ)の職種ほど、女性を積極的に募集したがったりしたものだ。

 

まだまだ男女平等にも、女性の経済的自立にも、「女性の言い訳」が成り立つ世の中だ。だからこその、「女に生まれたい」だったのだろうな、と私は思う。

 

女に生まれたからと言って、イージーモードの人生が待っているわけではない。

男に生まれたからと言って、イージーモードの人生が待っているわけでもない。

男に生まれても、女に生まれても、イージーモードな人生が理想なのだろうけれども、世の中そんなには甘くはないのだろう。