「片付けられない女たち」「片付けられない男たち」
一時、書籍「片付けられない女たち」(著サリルデン)が流行った。
商品説明
自分の部屋を片づけることができず、ゴミの中に埋もれるようにして暮らす女性について、多くのマスコミは半ばおもしろがって取り上げる。本書はその原因が本人のだらしない性格にあるのではなく、神経系の障害である可能性を唱え、全米でベストセラーとなった。
この神経系の障害は、ADD(注意欠陥障害)と呼ばれる。幼いころから兆候が現れていても、見落とされることが多く、大人になるまで本人が気づかないことも少なくないという。さらに、散らかす、なくす、忘れるといった特有の症状は、社会が女性に期待する女性像とのギャップが大きく、「片づけられない女」というレッテルを貼ることで、解決されてしまいがちだ。カウンセラーであり、自らADDである著者は、本書でADD女性が直面する困難に触れながら、ADDを持ちながら充実した人生を送るための意識改革の必要性を説き、同じ悩みを持つ女性たちにエールを送っている。(夢千慕)
(Amazonより)
前回の記事
で紹介したエントリーについて、ふと疑問に思ったことある。
「汚部屋住みOLだけど片付けじゃなくて多分生活の仕方がわからない」
タイトルにもあるように、投稿者は女性である。
はたして彼女が汚部屋から脱したいと思った理由は、なんだったのだろうか??
「人として」の危機感なのだろうか??
それとも「女性として」の危機感なのだろうか??
もし、 件のエントリーの投稿者が男性だったら・・・・・・
「人として」危機感を抱いていたのだろうか??
「片付けられない女たち」が流行った当初、私は強い違和感を抱いていた。
「なぜ女が片付けられないと、こんなにも驚かれるのだろう??片付けられない男だっていっぱいいるのに」
私は身近にいる「片付けな苦手な女」をよく知っている。自分の母親である。
「片付けられない女たち」が話題になった背景には、
「女性は片付けができる」
「女性は片付けが得意だ」
などと言った性別役割が私たちの中にあるからだ。
しばし、テレビのバラエティー番組の中などでも、タレントや一般人の女性の家が散らかっている様子を、ことさら面白おかしく紹介する企画はもはやお約束のネタだ。
おそらくこの書籍のタイトルが「片付けられない男たち」だったらどうだろう。
そこまで話題にならなかっただろうし、関心も持たれなかっただろう。
私達の中に「男性の部屋が散らかっている」状態を揶揄したり、バカにしたり、辱めたりするる意識はあまりないからだ。
掃除が行き届き、きれいに片付いた空間を多くの人間は好ましく感じる。
一方、整理整頓された清潔な部屋を、机を前に不愉快に感じる人間は少ない。
「清潔感」は人間の体にも心にもプラスに働く。
乳幼児や、足腰が弱った老人、身体に障害を持っている人にとっては、場合によっては生死にも関わる。
本来そこに男女の別は関係ない。
けれども、世間はことさら女性に「片付ける能力」「掃除をする能力」 を求める。
女性にとっても、性的魅力にも繋がるため、積極的にそれらの能力を高めようとする。
一方で多くの女性が、男性にそれらの能力を積極に求めない。ゆえに、多くの男性がそれらの能力を高める努力をしない。それらの能力がない事に思い悩むこともない。
そんなことを、趣味の道具のメンテナンスだけには異様に熱心な夫を見て、つらつらと考えてしまった。