「良い妻は夫に寛容大である」という呪縛。
ずっと抱いていた疑問がある。
どうして、「夫に寛大な妻」は、とても堂々として自信に満ち溢れているのだろうか??
- 暴力、DV
- お金(借金)
- 不倫(対素人の女性)
の例外はあるにせよ。
- 個人的な趣味
- 家族を共にしない旅行(社員旅行も含む)
- 家事・育児負担
- お金の使い方
- 飲み会
- 男の夜の付き合い(キャバクラや風俗など)
等に寛大な妻の発言には、不思議と自信と余裕が満ち溢れている。
もっとも、余裕(心や体、時間、そうしてお金等)があるからこそ「寛大」でいられるのだから、当然と言えば当然だと頭では理解できるの。
私自身、「夫に寛大な妻」の余裕のある発言に、素直に「すごいな」「羨ましいな」と思う時もある。
その一方で「夫に寛大な妻」が「夫に不寛容な妻」を批判する際の語調や言い回しに、どこか高圧的で、居丈高で、上から目線で、威圧的なニュアンスを感じてしまい、違和感を覚えてならない私がいる。
責めている、説教をしている印象を受けるからだ。
「不寛容な妻」が「寛大な妻」を批判する場面に出くわすことがあまりない、というのもあるかもしれない。
とは言え、現実は決して「寛大な妻」が偉いわけでも「不寛容な妻」が偉くないわけでもない。
けれども、「寛容な妻」は「不寛容な妻」に対して、俗にいうマウンティングを取りがちだ。
そこには「良い妻は夫に寛大である」との、思い込み、刷り込み、周囲からの圧があるからだ。
以前、発言小町に投稿された質問についても同様の感想を私は抱いた。
0歳児育児中でかつ妊娠中(社員旅行時は、妊娠後期)の妻からの、夫の社員旅行(海外)に関する質問だ。
社員旅行の詳細については、
- 2年に1度の開催で旅費は会社が毎月数千円の自動積立で、足りない分を会社が負担(不参加の場合は返金)
- 国内海外それぞれ数カ所から行きたいところを個別で選択可能で、上司や社長も参加するが現地で絶対参加の飲み会すらなく完全フリー行動
- 社員のほとんどが参加するが、もちろん不参加も一定数いる
- 家族を連れて行けるが、旅費は自己負担
となっている。
また考慮すべき点として、
- 実家が近く、頼りやすい。
- 夫は日頃家事・育児に協力的である。
- 2か月に一回、家族で国内旅行に行っている。
- 大型犬を飼っている。
などが挙げられている。
案の定、回答欄には、「投稿者(妻)はわがままだ」「夫がかわいそうだ」「社員旅行ぐらい快く送り出してあげるべき」とのコメントが目立つ。
実家が近い点に触れ、「いざとなったら親を頼るべきだ」との意見も多い。
私自身、実家が近く、かつ気軽に頼れる状況にあり、投稿者と状況が少し似ている。
と同時に、実際、夫の旅行(社員旅行と個人旅行の中間みたいなもの)に直感的に「嫌だな」「快く、にはなれないな」との感想を持った、心の狭い人間だ。
あたかも自分も投稿者と一緒になって批判されている気分になってしまった。
かつて、独身時代女性上司に、
「多少の男の女遊びには目をつぶれ。」
「趣味や旅行は大目に見てあげた方がいい。」
「手の上で転がすぐらいがちょうどいい。」
的な話をされたことがある。
その話はとても教訓めいてい聞こえた。
女上司の言葉に、同席していた女性の先輩は(立場的なしがらみもあっただろうが)うんうんとしきりにうなずいていたのが印象的だった。
「妻は夫に寛大であるべきだ」
のセリフは、余裕のある女性、能力のある女性だからこそ言えるセリフではある。
だからこそ、余裕のない、能力のない女性には、深く突き刺さり、時に傷つく。
だからこそ、私も違和感を抱き、と同時に責められた気分になってしまうのだろうか??