教育虐待~他者の問題を自分と切り離す難しさ。
教育虐待について色々考えさせられる記事がある。
昨日、そうして今日と上の娘にねちっこく叱ってしまい、今ものすごい後悔の念に駆られている私としては、とても他人事の問題としては思えずにいる。
なぜ、親親は子供に過度に期待するのか??
なぜ、親は子供に過度な躾や勉強、スポーツなどを強要・強制するのか??
よく言われるのが、
「親が子供の問題を自分の問題と同一視してしまい、子供と自分を切り離して考えられないから」
との見解だ。
とは言え、ネット社会、情報社会の日本において、
- 親の子供への躾の仕方
- 親の子供へのかかわり方
- 親の生活習慣、生活リズム
- 親の仕事や家事・育児の取り組み方
等で、「親次第で子供はいかようになる」との書籍、サイト、言説が日本中にあふれている。
故に、子供の出来不出来は親の評価に直結する。
- 子供の好き嫌いが少なければ、親の料理の腕が評価される。
- 子供の行儀が良ければ、親の躾が評価される。
- 子供が学業で結果を出せば、子供に勉強への興味を持たせ、勉強する習慣を身に着けさせ、やる気を起こさせ、そのやる気を長続きさせた親が評価される。
- 子供がスポーツで結果を出せば、やる気を起こさせ、そのやる気を長続きさせた親が評価される。
子供が学業やスポーツで成功すれば、子供以上に親がフューチャーされているのが現代日本のお約束でもある。
私たち世間もまた、「他人の子供の成功を親の成功と切り離す」ことができていないのだ。
見方を変えれば、良くも悪くも「子供に関する困り事」を「まいっか」「しょうがない」と諦めたりスルーしたりするのが難しい世の中でもある。
もっとも、それらの多種多様で有益な情報を生かすも殺すも親次第だ。
生かせる親もいれば、生かしきれない親も当然いる。
けれども、社会は幼稚園は、学校は、教師は、家族は「親の出来ない」を受け入れはしない。「子供の出来ない」と「親の出来ない」を切り離して考えもしない。
だから親は時として感情がヒートアップしていくのではないだろうか??と自分の行動を思考の癖を顧みて、言い訳のように考えてしまう今日の私だ。
もちろん、だからと言って「教育虐待は仕方がない」とはならないのだけれども。