「お下がり」の何が嫌なのだろうか??
「お下がり」について、考えさせられる記事を読んだ。
私の場合
私は中間子の長女だ。
上と下に兄と弟がいたのだけれども、2歳づつ年が離れていたのもあり、子供時代は兄弟間の学用品のお下がりは基本なかった。
ただ、母は倹約家で物を大切にする人だったので、学用品以外のお下がり(主に洋服)は、兄弟間ではなく、従妹や近所のお姉ちゃんお兄ちゃんからもらいはした。
特別、少しくたびれた、使用感のある洋服は、私にとって決して心躍るものではなかった。
私の母は、お下がりの服を考慮して私の服の総量を考えていた。当然、新品の服を買ってもらう機会は減る。おまけに、それらの服は私の好みではなかった。
自分の好みではないデザインや色の洋服を、半ば強制的に着せられていたのだから、面白くはなかった。
ただ、今思うと「お下がり」全般を好ましく思っていないわけではなかった。本や、おもちゃ、ローラースケートや自転車などは、お下がりでも十分だったし、不満もなかった。
私自身が、そこにこだわりを持っていなかったからだ。
長女の場合
一方長女の場合は、一番上の子供でかつ私にママ友ネットワークがないがために、学用品のお下がりの縁が全くなかった。
おまけに幼稚園の場合、幼稚園主催のバザーなどの公の場でお古の学用品を売り買いする場もない。
ただ、娘達が通う幼稚園では、小規模幼稚園であるのもあって、体操服などはトイレの失敗や雨で濡れてしまった際気軽に貸し出してくれた。
また、転入・転出の園児も多く、幼稚園で指定の学用品(園服や体操服)を貸し出してもいた。
皆が皆、新品の学用品を使用しているわけではなかったのだ。
そういう意味では、お下がりの心理的ハードルが子供達にとっても、保護者にとっても、非常に低いのではないか、と想像している。
おかげで、長女は今のところ時折ある学用品のお下がりに関して否定的な発言はしない。
お兄ちゃんおねえちゃんがいる同級生にとってはお下がりは日常だ。彼らの影響も大きいようだ。
ちなみに、小学校の学用品の場合は、幼稚園と違いバザーで公に売り買いされているし、幼稚園からのママ友や先輩ママの知り合いも増えたのもあって、お下がりの機会がちょこちょこある。
ありがたい話だ。
学用品以外のお下がりに関しては、従妹から定期的に送られてくる大量の洋服の中から、娘の好みに合ったデザインの服を選び喜んで着ている。気に入りすぎて、一日おきに着倒している服もあるぐらいだ。
中古品でもよいもの、新品でなければ嫌なもの。
お下がり=中古品でもよいもの、新品でなければ嫌なもの、は人によって全く違う。
私は洋服は基本新品だ。古着屋はあまり好まない。
一方で、本にはこだわりがない。図書館で本も借りるし、古本屋もよく利用する。
趣味である映画のDVD鑑賞のDVDもある意味中古品だ。
家具の購入も時と場合によりリサイクルショップを利用する。
家具に限らず、私の実家や夫の実家で使っていたものを譲り受ける(借りたのち、返却を断られた)こともある。
自分で納得して、新品と中古品を使い分けているのなら良いのだろう。
けれども、子供のお下がりの場合、子供自身の意見は積極的には反映されない。だからこその「お下がり問題」なのだ。
お下がり=中古品で良いもの。
お下がりでは嫌なもの。
のボーダーが子供なりにもきっとあるのだ。
「お下がり」の何が嫌なのか??
改めて考えてみると、「お下がり」の何が嫌なのだろうか??
- 古い。
- 汚い。
- 皆と違う。
- 自分の好みに合わない。
色々と理由は考えられるが、これらの点は「お下がり」に限りはしない。
未使用品でもずっと使っていなければ古ぼけている。
キレイに大切に使っていたら、汚れも目立たない。
お下がりでなく、新品でも皆と違うケースはある。(例えば、転入生や、出身の幼稚園や保育園が違った生徒であれば、学用品のメーカーや仕様が違って当然だ。)
同様に、新品であっても自分の好みの色やデザインでないケースは多々ある。
お下がり、中古品だからと言って、衛生観念のない子供にとって「何がなんでもダメ」
な理由はないのではないだろうか??
子供にとって「お下がり」だったら何が何でも嫌ではきっとない。
「お下がり」が嫌なのではなく「自分の好みではない、キレイでもないお古を押し付けられる」「新しい物を買ってもらえない」のが嫌なのだ。
中古品を「アンティーク」や「思い出の品」として価値を見出す人々。
さて、人や物によるが、世の中には中古品を「アンティーク」「ヴィンテージ」「思い出の品」として新たな価値観を見出す人がいる。
「アンティーク」「ヴィンテージ」「思い出の品」とまではいかないものの、中古品を「味がある」「今は見ないデザイン」として、価値を見出す人もいる。
単純に「安くてお得だから」「物を大事にしたいから」と価値を見出す人もいる。
そういう意味では、お下がりは「物を大事にする」のを教える良い機会なのかもしれない。